未発表賢治詩発見
日経新聞夕刊(4月8日)に載っていました。とても技巧的な作品だと感じます。また、本日は、「やまなし」発表記念日でもあります。
前半は、現在が現実で過去を幻想しています。後半は、現在が現実で未来を幻想しています。過去と未来は激しいエネルギーに満ち、対照的に静止している現在。“停車場”が“静止”と重なるモチーフになっています。
では、詩情はどこでしょう。わたしは、“きみ”にあると思います。きみが“ゐる、居る”のは静止した時の中。運転手たちと同様に“わたし”と“きみ”は、日に照らされる明るい静けさの中に居る。“きみ”は静寂とともに“わたし”といる。
何度でも、かさねて賢治に問いたい。“きみ”とはいったい誰のことなのでしょう。
停車場の向ふに河原があって
水がちよろちよろ流れてゐると
わたしもおもひきみも云ふ
ところがどうだあの水なのだ
上流でげい美の巨きな岩を
碑のようにめぐったり
滝にかかって佐藤猊嵓先生を
幾たびあったがせたりする水が
停車場の前にがたびしの自働車が三台も居て
運転手たちは日に照らされて
ものぐさそうにしてゐるのだが
ところがどうだあの自働車が
ここから横沢にかけて
傾斜つきの九十度近いカーブも切り
径一尺の赤い巨礫の道路も飛ぶ
そのすさまじい自働車なのだ
前半は、現在が現実で過去を幻想しています。後半は、現在が現実で未来を幻想しています。過去と未来は激しいエネルギーに満ち、対照的に静止している現在。“停車場”が“静止”と重なるモチーフになっています。
では、詩情はどこでしょう。わたしは、“きみ”にあると思います。きみが“ゐる、居る”のは静止した時の中。運転手たちと同様に“わたし”と“きみ”は、日に照らされる明るい静けさの中に居る。“きみ”は静寂とともに“わたし”といる。
何度でも、かさねて賢治に問いたい。“きみ”とはいったい誰のことなのでしょう。
停車場の向ふに河原があって
水がちよろちよろ流れてゐると
わたしもおもひきみも云ふ
ところがどうだあの水なのだ
上流でげい美の巨きな岩を
碑のようにめぐったり
滝にかかって佐藤猊嵓先生を
幾たびあったがせたりする水が
停車場の前にがたびしの自働車が三台も居て
運転手たちは日に照らされて
ものぐさそうにしてゐるのだが
ところがどうだあの自働車が
ここから横沢にかけて
傾斜つきの九十度近いカーブも切り
径一尺の赤い巨礫の道路も飛ぶ
そのすさまじい自働車なのだ