南十字ε星 宮崎駿2001年の予言

真の芸術家は、時にその作品中でやがて到来する未来を予言することがある、というのを聞いたことがあります。

千と千尋の神隠し」(2001年7月公開)の釜じいの天丼を思い出してください。あれはエビフライ丼だという声があることは承知しています。が、あれは天丼でなければ無意味になってしまうのです。どのくらい無意味かというと、菜穂子がイザナミでなくベアトリーチェである、というくらいの無意味さです。

ススワタリたちに配られたのはさまざまな色のコンペイトウでした。ススワタリたちが黒いことも相まって、コンペイトウはまるで夜空に輝く星々のように目に映りました。コンペイトウと同様に、釜じいの天丼も星のメタファをもっています。“丼”という字は、“井”と“ヽ”とに分解できます。すなわち、天丼とは、“天井の点”、転じて“天上の星”のアナグラムになっているのです。

2009年に発見された宮沢賢治作品があります。詩「停車場の向ふに河原があって」がそれです。

   停車場の向ふに河原があって
   水がちよろちよろ流れてゐると
   わたしもおもひきみも云ふ

   ところがどうだあの水なのだ
   上流でげい美の巨きな岩を
   碑のやうにめぐったり
   滝にかかって佐藤猊[嵓]先生を
   幾たびあったがせたりする水が

   停車場の前にがたびしの自働車が三台も居て
   運転手たちは日に照らされて
   ものぐささうにしてゐるのだが

   ところがどうだあの自働車が
   ここから横沢へかけて
   傾配つきの九十度近いカーブも切り
   径一尺の赤い巨礫の道路も飛ぶ
   そのすさまじい自働車なのだ
    (新校本 別巻「補遺・索引 補遺編」筑摩書房2009.3.10)

詩は、河がモチーフの前半と自働車がモチーフの後半に分けられます。さらに、動きの穏やかな“静”の部分と、動きの激しい“動”の部分の2種類が繰り返されます。都合、4つです。二枚貝説で“4”とは心臓の構造をあらわします。この詩の4つの部分は心臓の構造にあてはめられるのでしょうか。静→動→静→動。大静脈→肺動脈→肺静脈→大動脈、右心房→右心室→左心房→左心室。この詩は心臓と同じ構造をもっていると言えます。

また、径一尺の赤い巨礫の道路など走れるものではありません。それこそ、道路の上を飛ぶしかありません。であれば、河とは銀河=天の川のこと、自働車→飛ぶ乗り物→銀河鉄道のこと、さらに、わたしときみはジョバンニとカンパネルラのことになりますし、三台の運転手たちとは来迎三尊のことと解釈できます。

2009年、この詩は梁の上の荷物の中から発見されたそうです。梁というのは天井の構造物のことです。この場合、荷物がちょうど肉体に相当するようです。となれば、この詩は、肉体の中の心臓の位置に置かれていたはずです。そう解釈をすすめてゆくと、この詩は、意図的に天井(天上)に置かれたもので、かつ、その意図をもって置く動機のある人物は賢治以外には考えられないことになります。

天井の心臓=Cor Christ、釜じいの天丼と同じレトリックです。まさに、南十字ε星のこと、この詩が「銀河鉄道の夜」、「二十六夜」、「やまなし」、「春と修羅」に続く5番目、ε星の作品だと思います。

おわり