ヒドリとは忌日のことか

 ヒドリノトキハナミダヲナガシ

ヒドリはヒデリ(日照り)の誤記であろうというのが通説です。しかし、その通説には違和感があります。日照りに涙(水)の対応ではテクニカルすぎるように感じます。ここの「ナミダヲナガシ」には賢治の生の情感があふれ出ているように感じるのです。「雨ニモマケズ」が詩であるとするならば、「雨ニモマケズ」の詩情はこの一文にあると思います。ヒドリを未解明の賢治語と仮定することで「雨ニモマケズ」はより情感にあふれる詩になるように思えるのです。

ヒドリとは方言で忌日のことだと書いたのは嵐山光三郎氏です。(「古本買い 十八番勝負」集英社新書2005)記述はそれだけで、いったいどこの方言か、ほんとうに忌日の意味で使われるのか、その真偽については、いまだに裏付けが取れていません。しかし、別のアプローチからヒドリ=忌日にたどり着きました。

今日、なにげなく電子辞書の広辞苑で「ヒドリ」を引いたところ「日取り」がヒットしました。その意味のひとつに「期日」がありました。ほかの辞書もあたりましたが「日取り」の意味として「期日」をあげているのは広辞苑のみでした。それでも、おおかたの辞書は意味として「日を決めること、日程」、用法として「結婚式の日取りを決める」を挙げていました。

忌日(きじつ)→期日→日取り→ヒドリ、賢治の作品中でだけ使われる賢治語としてのヒドリ、忌日からの連想とし、また、「~の日取りを決める」という用法で、その日程(日取り)を決めるときに涙することがありそうなのは忌日くらいです。「忌日の日取りを決める」とき、涙してしまうことは自然なことだと思います、すこし苦しいかもしれませんが。