ジョバンニの恋

第1次稿から第4次稿まで、かほるに関し、一貫して変わらない記述があります。

  美しく頬をかがやかせて
  「・・・ まあ、きれいなそら」

わたしは、この部分は、単なる形容であるとするよりも、抒情と解すべきと考えます。

森鴎外は作品「大塩平八郎」の叙事に徹したその作品中で「花のような許婚がいた」という、ほとんど唯一の形容詞を使います。その「花のような」という形容詞は鴎外による抒情であり平八郎よって口封じのために殺された書生への手向けであるとされています。

賢治の場合、「銀河鉄道の夜」の、それこそ星の数ほどの無数の修辞がきらびやかにあふれかえる中、この「美しく頬をかがやかせて」というフレーズだけは特別な抒情をこめて書かれた特別なフレーズのように感じます。

この場面の、かほるとジョバンニの距離を考えると、かほるは、ジョバンニとカムパネルラの二人が外に顔を出している車窓の真ん中に顔を出して来ます。したがって、ジョバンニは、かほるの“かがやく美しいほほ”を触れ合わんばかりの近さで目の当たりにしていたことになります。

すると、ジョバンニが「生意気ないやだい」と感じたのは、おそらく逆心理です。かほるが、そらがきれいだと言う。同時に、ジョバンニも、美しく頬をかがやかせたかほるを“きれい”だと感じたという意味になるのです、

ジョバンニのかほるへの感情は、一瞬にして恋情に変わります、「生意気ないやだい」という反感は、その瞬間に沸き起こった恋情の反作用としての対立感情がジョバンニの意識の表層に出たということです。ジョバンニの恋情の対象は間近にあり恋情は赤く激しく熱い。だからこそ、ジョバンニは青く静かで冷たい遠い火を見つめることになるのです。

やがて、南十字の停車場でかほるにいっしょに行こうとジョバンニに言わせるのも恋情です。つまり、「いっしょにいこう」という言葉はジョバンニにとって、かほるへの恋の告白そのものなのです。カムパネルラに一緒に行こうと言うのは友情ですから、かほるへのそれとはずいぶんと温度が違います。

  じぶんとそれからたったもひとつのたましひと
  完全そして永久にどこまでもいっしょうに行かうとする
  この変態を恋愛といふ
  (「小岩井農場」パート9)

・・・つづく