千と千尋の神隠し

呼び出され試される物語(優等生などんぐりと山猫)

龍の薬のふたつの効能

最初に飲んだときは、体の中にため込んだものがすべて排出されます。ハクは苦団子を飲まされて魔女の契約印と虫を吐き出しました、カオナシは食べたものをすべて吐き出しました。千尋はおにぎり型の龍の薬を飲んだとき、ありったけの悲しみが涙に溶けて出てしまいました。次に龍の薬を飲むと、物事の本当の姿が見えてくるようになります。千尋が苦団子を齧って飲み込んだのが二回目になります。

わたしなりにこの物語を解く鍵となったのは“石炭”でした。人は豚になるか石炭にされる世界。人間の、黒くて重いという属性から連想されるのは“罪”です。ススワタリたちは、あたかもすべての悪しきものを焼き尽くす浄火の中に人間の罪を延々と投げ入れつづける“浄化”という作業をおこなってかのようです。

他にも“浄化”の意味を探すと苦団子の効能に思い至ります。ハクは苦団子を飲まされて魔女の契約印と虫を吐き出しました。カオナシは食べたものをすべて吐き出しました。苦団子には身の内に溜めこんだ悪しきものを強制排出させる効能があるようです。さらには、湯屋という場所は神々が穢れを落とす場所という意味でも“浄化”の意味につながります。

その“浄化”の意味がもっとも誇張されるがクサレ神のエピソードです。クサレ神がゴミやヘドロを除去してもらうことで、川の神たる本来の姿を現す。ここに、もうひとつの意味が隠されているように思えます。すなわち、“浄化”をおこなうことで“本来の姿が見えてくる”という意味です。そして、千尋にとって“本来の姿が見えてくる”という意味が端的に現れる場面が、豚の中に父母がいないことを見抜くシーンのようです。

そのほかにも、千尋式神に襲われる龍をハクと見抜き、さらには、カオナシに、あなたは来た場所に帰った方がいい。あなたにはわたしの欲しいものは絶対出せないと言っていました。これは、カオナシが別の世界からやってきた存在であることと、カオナシが出せるものとはどういう類のものであるかということを、千尋が見通していたことを意味します。また、千尋が巨大化したカオナシに対峙して端然と座っていられたことも、カオナシ千尋に危害を与える存在ではないことを見通していたからに違いありません。

そのうえで、苦団子に苦吟するカオナシが襲いかかろうとしたとたん、千尋は脱兎のように逃げ出し、しかし、鈍ってゆくカオナシの足取りにあわせるかのように逃げ足を弱め、最後にはカオナシを誘う始末。これら、カオナシに対する千尋の一連の行動は、千尋カオナシの意図を見通せていたことを意味していると思います。

そのほか、坊ねずみとハエドリの正体に気づかない湯婆に、ほんとうに解らないのかと質しているシーンもありました。これも、千尋が見通せる坊ねずみとハエドリの正体に魔女の湯婆が見通せない意外さが言わせたセリフとするなら腑に落ちます。

ならば、千尋はいったいどの時点から物事の本当の姿を見通せるようになったのでしょうか。千尋の変化は川の神に苦団子をもらってから、式神に襲われるハクに気づくまでの間で訪れています。その間に何があったかというと、千尋が饅頭と一緒に苦団子をかじるシーンがありました。つまり、千尋は苦団子を食すことで物事の本当の姿を見通す力を身につけたようです。

しかし、苦団子の効能は“浄化”だったはずです。それが、千尋には別の効能になって現れています。なぜハクやカオナシの時と効能が違うのでしょうか。川の神であるハクも千尋にまじないをかけた食べ物を与えていました。ハクのおにぎりを食べたとたん、千尋は巨大な涙をボタボタ流しました。これは強制排出、すなわち“浄化”の作用だったのではないでしょうか。不思議の町に迷いこみ、両親が豚にされ、自分自身も消えそうになる。あのでかい涙が、千尋のありったけの不安、恐怖、悲しみを強制排出した“浄化”の涙であったとすれば、苦団子の“浄化”という効能が浄化済みの千尋に効かなかったのも不思議ではありません。そこで、苦団子は第二の効能として“物事の本当の姿を見通せる力”を千尋に与えたように思えます。

川の神々の食物による第一の効能が“浄化”で第二の効能が“物事の本当の姿を見通せる力”。これは、クサレ神が浄化されて、本当の姿をあらわすという意味とも重なります。これらがこの物語のテーマであるならば、これらは「風の谷ナウシカ」のテーマにも通じてゆきます。

・・・つづく

 

 

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