7月7日は乗車記念日

星座早見で、白鳥座に天頂を合わせ、午後11時の日付のところを読むと八月十四日になります。これが、銀河鉄道が飛んだと思われる日付です。しかし、「銀河鉄道の夜」にはもうひとつの日付が隠されています。

  「まあ、あの烏。」カムパネルラのとなりのかほると呼ばれた女の子が叫びました。
  「からすでない。みんなかかさぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱るように叫びましたので、
  ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。
  まったく川原の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんいっぱいに列になってとまって
  じっと川の微光を受けているのでした。

かほるが“烏”といい、カムパネルラが“かささぎ”となおす。いささか意味を斟酌しかねる場面です。なぜ“烏”といい“かささぎ”といい直す場面が必要なのでしょうか。

広辞苑によると、“鵲”の一字でも“かささぎ”とよみますが、“烏鵲(うじゃく)”と書いても“かかさぎ”の意味になるそうです。そして、“かささぎの橋”で引くと“烏鵲橋(うじゃくきょう)”という単語がでてきます。カササギはスズメ目カラス科の鳥であるのは間違いのないところなのですが、わざわざ、“烏”といい“かささぎ”といい直すのは、鳥類としての分類はべつとして、“烏鵲橋”という単語を連想せよという謎掛けなのかもしれません。

  8月の話題
  11日が七夕(たなばた:旧暦)。今は「笹に短冊で願いごと」が
  前面になって、7月7日の日付だけが一人歩きしている感がある。
  七夕の由来を紐解けば、上弦の月の存在に気づくはずである。天の川を
  渡る船に見立てた月が無くして、新暦十五夜をみるようなもの。
  どうして七(なな)なのか、天文ファンなら当然理解しておいてほしい。
  (「天文年鑑2005」誠文堂新光社

天文年鑑2005」によれば、七夕の“カササギの橋”とは、天の川を渡る月のことだそうです。“鵲の鏡(かかさぎのかがみ)”という言葉もまた“月の異称”であると広辞苑にあります。“七夕の月”は旧暦七日の月ですから当然上弦の月です。そして、カササギは上半分が黒で下半分が白い鳥ですので、その姿はなるほど上弦の月に似ています。おそらくは、そのようなカササギの姿から“月がかける橋”→“七夕の月” →“上弦の月” →“カササギに似た模様”→ “かささぎの橋”といったような七夕伝説が生まれたものとおもわれます。

さて「銀河鉄道の夜」の物語に立ち返えると、かほるとカムパネルラの会話中に烏(カラス)と鵲(カササギ)が出てくるのは、“烏鵲橋”=“かささぎの橋”という単語を連想できれば、物語が七夕の夜の出来事なのだと解る。そういう仕掛けなのかもしれません。

七夕の風習が日本に入ってきたのは、八世紀ごろといわれています。万葉集にも七夕を題にした和歌があるそうです。その数、132首。七夕歌(しちせきか)というジャンルができているほどの数です。また、十二世紀頃の成立とされる百人一首にも、次の歌があります。

  かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける

さらには、江戸時代の誰もが知っている有名な芭蕉の俳句も七夕を詠ったものです。なぜ七夕なのかというと、直前の“文月や”の文月が七月のことだからです。“荒海や~”は、天の川をモチーフにすえているくらいですから、七月六日の次の日の夜、七月七日の夜のことになります。

  文月や六日も常の夜には似ず
  荒海や佐渡によこたふ天河

この文月の六日を本歌取りしたのが、平成の歌人 俵万智さんで、やはり誰もが知っている“~サラダ記念日”。その七月六日というのは、じつは旧暦の七月六日のことなのだそうです

  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

  陰暦の七月は秋。秋は恋の季節である。六日から七日へと移行する
  恋人たちのときめき。その予感がいい。(俵万智「りんごの涙」p127)

七月は秋。七夕を歳時記で引くと季節は秋なのだそうです。「銀河鉄道の夜」でも秋が強調されている箇所があります。銀河鉄道が飛んだ夜は七夕の夜。けれども、その七夕とは新暦の七夕ではなく、旧暦の七夕であるということを強調したかったからではないでしょうか。平成の歌人俵万智さんが、旧暦の七夕を意識した和歌を作っているくらいですから、大正の詩人、宮沢賢治が旧暦の七夕を意識していても不自然なことはありません。

もとより、七夕の季語は秋というのは歌人俳人・詩人たちの基礎教養といっていいのでしょうね。賢治がさまざまな文学上のテクニックをどこから取得したのか不思議でしたが、和歌・俳句の知識からとするならば、なるほどとうなずけるような気がします。

  「あゝ、りんだうの花が咲いてゐる。もうすっかり秋だねえ。」
  カムパネルラが、窓の外を指差していいました。
  さはやかな秋の時計の盤面には、青く灼かれたはがねの二本の針が、
  くっきり十一時を指していました。

銀河鉄道の夜」が旧暦七月七日の夜の出来事であるなら、白鳥座を天頂に合わせたときに星座早見が指し示す日付である新暦八月十四日をどう考えればいいでしょうか。白鳥座を天頂に合わせるのは、天球上の南北線を星座に合わせるためです。南北線を星座に合うように運行しなければ、銀河鉄道は時刻表どおりの運行ができなくなってしまうばかりか脱線しかねません。なぜ、二つの暦日があるのでしょうか。

新暦と旧暦。新暦は天頂を通る南北線によって定まります。南北線は縦線のメタファです。旧暦は南北を流れる天の川をかささぎの橋が横切ることによって定まります。横線のメタファを持ちます。新旧二つの暦日を重ねるということは、縦線のメタファと横線のメタファを重ねるということです。縦線と横線をクロスさせると現れるのは十字・・・そろそろ食傷気味になってきした。



しかし、銀河鉄道が飛んだのが旧暦七月七日かつ新暦八月十四日だとすると、はなはだ残念なことがあります。烏瓜のあかりというのは烏瓜の花のことだと論じましたが、烏瓜の花の季節は新暦7月上旬の頃です。新暦八月十四日ではどうにも遅すぎます。さらに烏瓜は秋の季語。烏瓜の花は夏の季語です。烏瓜のあかりが花では、秋の季語である七夕とのバランスがとれません。烏瓜のあかり=花説は撤回せざるをえないようです。

それでも、それでもなのですが、理に合わないことは承知のうえで、宵闇の中で匂いやさしくひかえめですがすがしい烏瓜の白い花の群生は、地上に落ちた天の川の星ぼしのようで、なんとも捨てがたく感じます。

・・・つづく