ピンドラ再考 愛してる
愛してる
翼
最終回、陽毬を抱いた冠葉が背中からすり潰された多数の氷の破片を散らしながら歩く。あの氷の破片が散らばる形が翼の形に見えないだろうか。完全にすり潰された冠葉だった氷片は、最後の瞬間に翼のイメージとなって飛び去り、消える。晶馬が苹果から代償の炎を引き受け、一瞬に焼きつくされ炎の姿となって、消える。あの炎の形が翼の形に見えないだろうか。ちょうど、サモトラケのニケを左横から見た時の翼の形に似ているように思う。あの冠葉だった氷片と晶馬だった炎が翼のメタファだとすると、なぜ、冠葉と晶馬は翼になるのだろうか。なぜ翼を持つのだろうか。翼に意味があるとしたら、翼はどんな意味を持っているのだろうか。
“リンゴは愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもある。
むしろ、そこから始まると賢治は言いたいんだよ”
“翼“は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもある。
だとすると、冠葉と晶馬のその後の運命とは、笑ってしまうが、ペンギンになる運命なのか。
愛してる
晶馬「これは、僕達の罰だから。ありがとう。愛してる」。
ゆり、やっとわかったよ。
何が。
どうして僕達だけがこの世界に残されたのかが。
教えて。
君と僕はあらかじめ失われた子供だった。
でも世界中のほとんどの子供達は、僕達と一緒だよ。
だから、たった一度でもよかった。
誰かの愛しているって言葉が僕達には必要だったんだ。
最終回、二回繰り返されたセリフの答えとなるセリフが続く。
たとえ運命がすべてを奪ったとしても、
愛された子供はきっと幸せを見つけられる。
あたしたちはそれをするために世界に残されたのよ。
愛しているよ。
愛しているわ。
晶馬「君は、君じゃないか」
晶馬「ありがとう。愛してる」
リンゴは宇宙
僕はもうあんな大きな闇の中だって怖くない。
きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう
(ちくま文庫 宮沢賢治全集7 「銀河鉄道の夜」)
ピンドラ再考 桃華の神様とは
桃華の神様とは
私ね、運命の乗り換えができるの。
この日記にある呪文を言って神様にお願いするの。
そうするとね、電車を乗り換えるように運命を乗り換えることができるの。
乗り換えてみる?
だってこのままだとゆりは死んでしまう。
桃華のいう神様は、結局、本編に登場しなかった、…のだろうか。もしも、登場していたとしたら、桃華の神様とやらは、いつ、どこに、どんな姿で存在していたのだろうか。そして、桃華は、いつ、どこで、どうやって神様にお願いしていたのだろうか。
作品中には、ある特定の人物からは可視で、それ以外の人物からは不可視の存在がでてくる。そう、ペンギン達。“ペンギン達が桃華の神様である”と仮定してみるといろいろと合点がゆく。
街のいたるところにあるペンギンマーク。ピンドラの作品世界ではペンギン印が人気化している。なぜだろう。端的に言ってペンギン=神だからではないのか。特定の人達とその人にしか見えないペンギン達。そのペンギンが見える特定の人達。彼等または彼女等がペンギンの姿を商標・シンボル・デザインとして絵また文字に写し取っていったのではないだろうか。特定の人以外に見えないペンギンがいて、見えないからこそ人々はペンギンの存在には無関心。晶馬がゆりを説得するのにペンギンの存在を持ちだしたらしいが、ゆりには理解不能だったように。
ゆりのハンドバッグがペンギンに酷似しているのは、桃華のペンギンがハンドバックになったと解釈するより、ハンドバッグのデザインとしてペンギンの姿を写しとったデザイナーがいた。と考えたほうがいいかもしれない。ゆりが桃華を回想するとき、桃華の象徴は東京タワーであってもハンドバッグではなかった。つまり、ハンドバッグはゆりにとって桃華の縁(よすが)となるものではなかったということだろう。したがって、ゆりのハンドバッグは、ピンドラ世界にあふれるペンギン・デザインの物品の一つと捉えていいだろうし、したがって、ゆりにはペンギンは見えていなかったと思われる。
ペンギンはペアとなる人間の性格を写す
1号は、冠葉の異性への関心を、2号は、晶馬の異性への苦手意識を、3号は陽毬の編み物への関心を写す。編み物は家族関係の暗喩でもあるようだ。
ペンギンはペアとなる人間のダメージの大部分を引き受ける。
ペンギンの役割として明らかなのは、ペアになる人間が受けるダメージを引き受けていること。晶馬が乗用車に轢かれたり、冠葉がトラックに引きずられたり、ワイヤーに手を削られたりしても人間にダメージはほとんど残らない。真砂子がフグの毒にあたっても、池袋の地下構造体で瀕死の重症を追っても、目覚めるとにダメージはほとんど残っていない。また、ダメージを分担するだけではなく、ペアになる人間のブースト(増強)も行なっていたようにも思える。陽毬が多蕗に建設用ゴンドラに吊り下げられ落とされようとする時、落下するゴンドラを支える冠葉を1号がブーストしていたような演出があった。
ペンギンはペアとなる人間のお願いを聞く
よくよく作品を見直すと、ペンギン達にはもう一つの役割がありそうだ。ペンギンたちは、人間の頼みごとを断らない。頼みごとではなくお願いごとと言い換えてもいい。最初、冠葉は1号にキャベツを千切りするよう頼んだようにも思えるし、2号も、晶馬に傘を持っていってくれと言われたらしいし、晶馬の財布を取ってくることも暗黙のうちに依頼として引き受けていたように思える。苹果の学校やビルの壁面をつたっての盗聴・監視の言いつけにしても言われたままに実行している。その後も、とくに、1号が冠葉の仕事を手伝っていたように見受けられる。
3号が、陽毬を空の孔分室に連れゆき、「カエル君、東京を救う」を探し出したことも、陽毬が「ペンギンさんも探してくれる」と言った言葉を3号が依頼と受け取ったがゆえではなかろうか。エスメラルダにしても真砂子の指示を実行していたように思われる。とくに、旅館でゆりに対する目くらましの実行などが典型であろう。
ペンギンは特別な存在の人間との間で明瞭な意思疎通ができる。
また、ペンギン達は互いに意思疎通が可能なようだ。それも、遠隔地間で意思疎通が可能なように思われる。高倉家崩壊にあたって、晶馬は陽毬を叔父の所へいけと送り出す。しかし、陽毬は冠葉の所に現れる。どうやって冠葉の居場所を知ったのだろうか。あそこは、ごくごくシンプルに「3ちゃん、冠ちゃんの所に連れて行って」と陽毬が3号にお願いしただけなのではないだろうか。
また、ペンギン達とプリクリ様との間にも意思疎通もあったらしい。苹果が“ストーカーのド変態女”であるという事実を冠葉や晶馬から聞かされたはずもないし、“この脳味噌ゲロ豚ビッチ娘”という罵倒は、プリクリ様が苹果が池で溺れた事実、晶馬がマウスツーマウスの人工呼吸をした事実、蘇生した苹果が晶馬の口の中にゲロを吐いたという状況をプリクリ様が把握していることを若干の嫉妬心とともに端的に表現した言葉ではなかったろうか。そして、その状況を詳細に正確にプリクリ様に伝えられたのは2号しかいない。
晶馬が車に跳ねられ病院に入院したという連絡を受けた陽毬が、危急の時にわざわざ病院に編み物セットを持っていっていたという行為は、はなはだ奇妙に映る。晶馬の入院の知らせから家を出るまでの間に、陽毬が晶馬の容態が極めて軽いという事実を知った、としか考えられない。これも、ペンギン達を通じて知っていたとするなら、陽毬としては落ち着いて粛々と入院の準備できただろうし、編み物セットさえも持って出ることができただろう。
このペンギン達の能力は、多蕗やゆりのケースにも適合しそうだ。桃華が、ペンギンを使いペンギンを通して多蕗に何が起こっているかを把握する。ペンギンに頼んで子供ブロイラーの多蕗まで案内させる。ゆりにしても、ペンギンを通して、ゆりが父親に何をされているか知る。桃華が多蕗とゆりに対してあたかも超越者のように振る舞えたのは、桃華にとってペンギンの存在と働きがあったからではないだろうか。
ペンギンは人間の願いを叶える。陽毬が冠葉を追っていった水族館での「神様、わたしが冠チャンからもらった全てを、命を返しますから」と言った直後に3号のカット。そして、苹果が乗り換えの呪文を発声した直後に2号のカット。演出は、二人の願いの言葉を受け止めたのがそれぞれ3号と2号だと言っている。
ペンギンは運命の乗り換えができる。
ペンギンは乗り換えの呪文も願いとして聞き届けるとするならば、16年前、桃華が眞悧の目の前で乗り換えの呪文を詠唱したとき、桃華の傍にはペンギンの存在があったはず。色はおそらく黒。黒ペンギンは桃華が日の神であることを表す色。桃華の黒ペンギンは眞悧の呪いによって引き裂かれ2つのペンギン帽となる。そう、ペンギン帽は桃華自身ではなく、桃華のペンギンが引き裂かれてペンギン帽子になったものと捉えた方が解釈する上で都合がいい。
病院のベッドに脳死状態で横たわる桃華の肉体があり桃華の意識はその肉体に縛りつけられている。しかし、桃華は引き裂かれたペンギン帽を通じてペンギン帽を被った相手と意思疎通が可能であったとする。そう考えるなら、桃華は、ペンギン帽を通じてプリクリ様にペンギンに関するノウハウと、この先、陽毬の生存には乗り換えが必要なこと、乗り換えにはピングドラムが必要なこと、桃華の運命日記はピングドラムの一つであること。運命日記の現在の持ち主のこと、などなどを伝えることができそうである。
ペンギンは乗り換えの奇跡を起こす神とも言える存在と考える。また、そうだとすると、ペンギンが見える人達も相当数に登ったはず。すでに、ピンドラ作品世界では運命の乗り換えは相当な回数に登っていたのではないだろうか。誰かが運命の乗り換えを行うと周りの人間の運命まで変わってしまう。それは巻き込まれた人にとって望んだ運命ではないのかもしれない。つまりペンギンとは、運命の乗り換えを行った当事者以外の第三者から見ると、勝手に他人の運命も巻き込んで変えてしまう困った存在にもなる。そこで、ペンギンへの対抗手段を検討したが、最終的にペンギン達の駆除・無力化は不可能という結論だったかもしれない。それならば、乗り換えには人のピングドラムが必要なのだから、逆にピングドラムを持たない人間ならば運命は変わりようがないはず。したがって、予防的措置として子供のうちにピングドラムをすり潰しておいたらどうだろうか。そして、その手段なら可能で、それが子供ブロイラーという考え方だったのではないだろうか。
そういえば、特定の場所で撮るとペンギンが写り込むスマートフォン用カメラアプリがあるようだ。これなど、いかにも実は不可視なペンギンがそこら中にいるのだ、という恣意的でいて暗示的なネタバレのような気がしないでもない。
ー 目次 ー
ピンドラ再考 あなたたちのピングドラム
あなたたちのピングドラム
運命=決定論的未来
ピングドラムとは、冠葉から渡された半分のリンゴの方ではなく。渡されなかった半分のリンゴの方、陽毬の手から消えていった半分のリンゴ。それがピングドラム。すなわち、ピングドラムとは、”選ばれなかった運命”、”選ばなかった運命”のこと。
そして人それぞれにピングドラムがある。鍵は桃華のセリフ「“あなたたち”のピングドラム」の“あなたたち”。あの運命日記は、桃華だけピングドラム。冠葉の、晶馬の、そして陽毬のピングドラムは別にある。
ゆで卵のピングドラム
ガスコンロで目玉焼きを作る2号――意味は運命の乗り換え。2号は、ゆで卵になるはずだった卵の運命を乗り換えを行い、卵たちを目玉焼きにする(24話)
陽毬のピングドラム
3号に導かれてたどり着いたのは地下61階の“いつもの図書館”。陽毬が返却するのは本の形をした4冊の運命。それは陽毬がこれまでの人生で選びとった運命。“選びとった運命”はピングドラムではない。本が4冊ということは、陽毬はこれまで4回、人生の選択に迫られたということを意味する。陽毬の後ろに列をなす返却待ちの人々の中にはたくさんの本を抱えた人もいる。そういう人はその人の人生において多くの運命の選択に迫られた人なのだろう。
「カエル君、東京を救う」という本はどこにありますかと、係の人に問いかける陽毬。これが陽毬のピングドラム。次のカットで、本日10月15日(土)、返却日3月20日(月)という表示。この問いかけによって本日10月15日(土)に終わるはずだった陽毬の運命は事実上3月20日までの猶予されることになる。
陽毬は「ペンギンさんも探してくれる?」とお願いする。3号は陽毬を空の孔分室へと誘う。空の孔分室のドアの手前まで来た陽毬。同時に多数の鳥が飛び立つ。鳥は銀河鉄道の夜での“命”のメタファ。陽毬はあのときに死んだ。すなわち空の孔分室には、命あるものは入れない。
陽毬は空の孔分室で眞悧に出会う。陽毬は眞悧に「カエル君、東京を救う」の所在を尋ねる。眞悧は次々と本を見つけ出し、これがお探しのあなたの物語だという。
・1冊目「カエル君、Hトリオを救う」はトリプルHとして応募しようとする物語
・2冊目「カエル君、高倉陽鞠を救う」は母親に怪我をさせてしまう物語
・3冊目「カエル君、再びHトリオを救う」は緋鯉の生き血を取ろうとする物語
・4冊目「カエル君、テレビデオを救う」はダブルHがデビューしたという物語
しかし、ヒマリは眞悧が選んだ物語に納得しない。それは、眞悧が選んだエピソードのすべてが、例外なく現実の陽毬の身の上に既に起きてしまった過去の出来事だったからだ。それらは、ヒマリにとって、すでに選択済みの過去の運命であり、選択しなかった運命(過去形のピングドラム)や選択されないであろう運命(未来形のピングドラム)でなかったから、というのがその理由。
陽毬が探していたのは、陽毬の未来の運命。未だに選択していない未来の出来事が記載された本。「カエル君、東京を救う」。それは、選択されたことのない運命であり、現状のままではおそらく選択されないであろう未来の運命の物語である。すなわちピングドラムなのである。その物語は、同時にヒマリをも死の運命から救い、陽毬がこの先ずっと命を保ち続けることができる運命の物語のはず。また一方で、「カエル君、東京を救う」という物語は、多くの人の命を救う。東京中の多くの人間がテロに倒れる運命を回避するという物語のはず。
運命の花嫁の花冠は眞悧の気紛れ。眞悧が選んだ物語に一向に納得しない陽毬に業を煮やした眞悧の気紛れ。そしてそれは桃華への挑戦でもある。ヒマリの命を救えるものならば救ってみろという桃華への挑戦。同時に、眞悧が、桃華がどうあがこうと運命は変えられないと見切っていることを意味する。眞悧としては余裕を見せた形。ひと月分の命の苹果を添えて、陽毬を地上に落とす。遺体安置所で目覚める陽毬。余命は、苹果一個分、すなわち一ヶ月の命。
ダメ、とヒマリが眞悧のキスを拒絶するのは、既に桃華が陽毬に影響を及ぼしていたことを意味する。陽毬の目が赤く変わっていたのがその証拠。桃華にとって眞悧は永遠に闇の中に封印すべき敵。そして、陽毬にとっても同じように敵だったのだ。陽毬は女神が罰を下した相手。女神の罰とは、命の苹果を毎日ひとつずつ一つずつ吸い取られる不治の病。すなわち、女神とは眞悧である。陽毬にとって眞悧は陽毬の命を奪い続ける敵なのだ。敵とキスなどできようはずもない。運命の人がいようといまいとに関わらずにである。
眞悧にしても、かつて罰を与えた陽毬が、空の孔分室に現れようとは予期していなかったはず。女神としての罰は4年前に遡る。4年間に渡る闘病生活の果てに眞悧の前に現れた陽毬。空の孔分室に現れたことで陽毬は眞悧と同種の人間だったという事が判明する。おそらく陽毬はいまだに完全体ではないであろうが、空の孔分室に現れたことが陽毬の超越者たる証。それまでの眞悧は唯一の超越者としては孤独だった。かつて、同種の唯一人の存在である桃華から受けたのは容赦ない拒絶と否定。眞悧としては、ここで陽毬を懐柔できれば、孤独という心の孔を埋め、桃華による拒絶と否定によって受けた傷を陽毬で癒せるかもしれない。
空の孔分室の書棚から「カエル君、東京を救う」を見つけたのは3号。あの本は、眞悧が見つけてはいけない本。なぜなら、あの本の存在は、眞悧の運命を変えてしまうことを意味するから。眞悧にとっては、あってはいけない未来の運命。だから、眞悧は3号がカエル本を見つけたことに気づいていない。気づいていれば取り上げてしまったはず。つまり、どういうことかというと、眞悧には3号が見えていないということ。
3号は、陽毬を空の孔分室に招き入れることで5つの事をなしとげた。
・陽毬の願いを聞き届けた(陽毬の味方)
・眞悧に引き合わせる(陽毬の敵)
・1ヶ月、陽毬を延命させる(HP補充)
・「カエル君、東京を救う」(武器:陽毬のピングドラム)
・ペンギン帽の入手(参謀、アドバイザー:桃華)
桃華の運命日記は桃華だけのピングドラム。陽毬のピングドラムは「カエル君、東京を救う」。眞悧は気づいていなかったろうが、眞悧は、あの時点ですでに敗北し始めていたはず。
最終回のラスト、3号が置いていったクマの縫いぐるみのお腹からはみ出ていた紙片。あの紙片もピングドラム。ぬいぐるみ自体は書籍の装丁と同じ位置づけなのだろう。苹果の乗り換えによって、陽毬に兄がいた運命は、すでに過去形の選ばれなかった運命になってしまった。つまり、過去形のピングドラム。陽毬はじきに冠葉や晶馬の記憶を取り戻すだろうが、それは、もはや、乗り換えようもない過去形になってしまったピングドラムの記憶。時間軸上で過去形になってしまった運命はピンドラの物語世界でも取り戻しようがないのだろう。乗り換えられるのは未来の運命だけ。そうでないと乗り換えで死者が蘇るようなことが起こるはずだが、この作品では死者は蘇ったりはしない。陽毬すら本質的な意味では死んでいなかったのだ。
冠葉と晶馬のピングドラム
これがピングドラムだよ、と陽毬が差し出すリンゴ。かつて、檻に閉じ込められた冠葉が格子越しに同じように檻に閉じ込めたれた晶馬に渡したもの。冠葉が、あの半分のリンゴを晶馬に渡すことで、晶馬の運命が乗り換わったのだろう。おそらく晶馬はあのまま死んでしまうのが運命だった。そして、その運命を乗り変えた行為によって冠葉の運命すらも変わったのだろう。つまり、冠葉も晶馬もあの時点でいっしょにピングドラムに乗り換えた、運命の乗り換えを行ったということなのだろう。
冠葉の檻にあったリンゴはどこから来たのか。あのリンゴの実体は冠葉の命だと思う。他者の生存のためにサソリが差し出す自らの命。冠葉は、最初のイリュージョンでプリクリ様に自らの命を提供済みである。冠葉には陽毬の命を自らの命で贖っているという認識がある。眞悧の苹果の期限が到来しバッテリー切れとなったプリクリ様にさらなる命を補充しようとする。しかし、あのとき、冠葉の身にはもうプリクリ様が取得を躊躇してしまうほどの命しか残っていない。
陽毬の最後のイリュージョン。冠葉から盛大に吹き出す血がリンゴに変化する。すなわち命。吹き出す命は、22話で陽毬から返却された冠葉の命。
陽毬「神様、お願いです。あたしが見て見ぬふりをして冠ちゃんから奪ったものを
冠ちゃんに返してあげてください。どうか冠ちゃんを助けてあげて。
私が冠ちゃんからもらったすべてを、命を返しますから」
吹き出す血の多さは冠葉がこれまで高倉家という家族を守るために受けてきた傷の深さ多さを意味する。
冠葉と晶馬、二人にとってのピングドラムとは、あの過去の檻に閉じ込めたられた時点でのピングドラムが唯一のピングドラムだったようだ。苹果が乗り換えを行った後のためのピングドラムが二人には無かった。そのため、二人は乗り換え後の世界から消え去るしかなかったのだろう。
苹果のピングドラム
運命の乗り換えには、関係者全員のピングドラムが使われるようだ。桃華の言う、あなたたちのピングドラムの“あなたたち”とは、晶馬と冠葉だけに限らない。多蕗、ゆり、真沙子、マリオ、陽毬、苹果、池部の叔父夫婦、地下鉄の乗客も含んだ全員のピングドラムのこと。
苹果は呪文を発声することの代償としてその身を焼かれることを知っていた。すなわち、苹果自身が残留する運命としての未来は選ばなかったことになる。その動機は大切な人を救いたいがため。しかし、“選ばなかった運命”こそがピングドラムである。それがゆえに乗り換え後の世界に苹果が残留する未来となったと思われる。苹果が乗り換えを行った時、同時に苹果のピングドラムも使われたのであろう。
真砂子のピングドラム
真砂子のピングドラムは独特と考える。“同時に複数”がキーワード。そして、すべてが過去形のピングドラムになっている。そしてそれらのピングドラムは同時に複数を選択し得たピングドラム。夏芽真砂子の夢の物語(第16話)。真砂子は佐平翁をなんども殺害する。回想「今日もまたあの男を殺す夢を見てしまった。あの男がいる限りお父様はこの家に帰っておいでにならないから。」
・毒入り朝の紅茶
・毒吹き矢で首筋を撃ちぬく
・ゴルフボールでこめかみを撃ちぬく
・フルーツ盛りの中にキングコブラを忍ばせる
しかし、佐平翁は自らが捌いたフグの毒で死亡。夏芽家は呪われたと言う真砂子。今日、佐平翁が乗り移ったかのようなマリオがフグ刺しを用意している。毒入りと毒なしの二択。運命の選択。選んだ運命と選ばなかった運命とは、ピングドラムのメタファ。真砂子は二皿とも、つまり同時に複数の運命を一気に食べ(選択し)、当然のように毒にあたり死にかける。眞悧「シビレルダロウ。・・・」落ちてゆく真砂子とギガマークの弾丸。舞台が運命列車に変わる。眞悧がマリオから受け取ったリンゴ(マリオの命)をキガマークの弾丸に変える。ギガマークの弾丸は“命”から作られていた。
なぜ、真砂子は昔の夢を思い出すのか。第10話、苹果が落とした運命日記前半を拾ったのは連雀だった。運命日記前半は真砂子に渡っている。運命日記は桃華のピングドラム=選ばれなかった運命である。真砂子が入手した運命日記が前半部分だけだったことが、つまり運命日記の過去部分が真砂子に見せた真砂子自身の過去形のピングドラム(選ばなかった過去の運命)と解釈できる。かつて真砂子には佐平翁を殺害するという運命の選択枝があったこと、しかし真砂子がその運命を選択しなかったことを示している。
陽毬が空の孔分室で眞悧に実際に選択した過去分の物語を提示されるのと同様に、真砂子が選択しなかった過去の、それも同時に選択可能だった複数の運命を提示される。提示したのは誰か。眞悧にはピングドラムは感知できない。エスメラルやマリオのペンギン帽の可能性もあるが、わざわざ真砂子の過去分のピングドラムだけという現象から、前半部分だけの運命日記が作用した可能性が高い。エスメラルのアシストはあったかもしれないが、真砂子としてはエスメラルダに特にお願いしたわけではないから除外してもいいかもしれない。
一見、まどマギでほむらが繰り返したような同じ期間の繰り返しのようにも思えるが、そうではなく過去の時間軸の特定の期間において、同時にどれか一つを選択し得た複数の運命である。回りくどい言い方になるが、そのいずれをも選択しないという選択を行った上での現在の時間軸の真砂子が、身近に置いた桃華の運命日記に影響されて夢として見た過去形のピングドラムだったという言い方ができると思う。
あるいは、事象自体が時系列ではないのかもしれない。眞悧によるマリオ毒殺を回避した上で見た佐平翁殺害のピングドラムの夢だったのかもしれない。父親にこだわり、兄にこだわる。真砂子は過去型に生きる女なのである。佐平翁と同じように行動するし、ラストで、真砂子には兄がいて真砂子のことを愛してると言っていたわという。たぶん、真砂子は思い込みと思い違いに生きる女なのである。
多蕗のピングドラム
乗り換え前の世界では、多蕗は桃華に囚われているゆえに、多蕗がゆりを愛するという未来は選び得るはずもなかった。しかし、乗り換え後の世界では、多蕗がゆりを愛するという、選ばれることがなかったはずの未来、(ピングドラム)が使われた。前世の記憶があることと未来が可変であることとは別のようだ。
さらに、多蕗は複数のピングドラムを持っているようだ。真砂子のように過去形のピングドラムではなく、ピングドラム本来の意味である未来形の運命。桃華が子供ブロイラーで多蕗の運命の乗り換えを行った時に一つ。苹果が運命の乗り換えを行った時に一つである。多蕗はその名の通り、多くの路(ピングドラム)の保有者なのであろう。
桃華のピングドラム
そもそも、運命日記は桃華固有のピングドラムなのであろう。日記は、“桃華の神様”が桃華に与えたものと推測される。もともとは、いかにも空の孔分室にありそうな書物。日記に記述して、ひとつひとつ実現してゆくと、実現した未来が永遠の真実になるという預言書。過去と未来は曖昧だが、かなり未来のことまで記述してあったようだ。この場合、“実現してゆく”というのは“乗り換えてゆく”というのと同義。日記に記述して、ひとつひとつ乗り換えてゆくと、乗り換えた未来が永遠の真実になる、という意味になる。
ゆりのピングドラム
ということは、ゆりが入手した運命日記の後半には桃華のことは書かれてはいなかったはず。多蕗と結婚し妊娠する。それは桃華のことではなく、実は、ゆりのことだったはず。書き換えるべき所有者を失った日記の記述が書き換わるはずもない。
ヒカリとヒバリのピングドラム
ヒカリとヒバリのピングドラムも使われた。ヒカリとヒバリの新世界での”ダブルH”という未来がそれ。それ自体が前世界では選ばれなかった未来。では、ヒカリとヒバリが乗り換え前の世界で選んでいた未来とは何か。それは当然、”トリプルH”という未来。ふたりは、いつの日か、”トリプルH”という未来が来ることを信じて、ずっと、待っていた。だから、陽毬のマフラーをよろこんで受け取ったし新曲CDを渡しにもやって来た。
苹果による乗り換えのあと、ダブルHと陽毬の関係性が切れたのは、トリプルHという未来が過去形のピングドラム化されてしまったからであろう。
連雀のピングドラム
激写される連雀。プリクリ様に激写される連雀。一見、意味不明ではあるが、これもピングドラムのメタファである“選択しなかった運命”を重ねると、連雀には、過去形ながら、グラビアアイドルという運命の選択肢があったという意味になるのかもしれない。ただし、このエピソードは、あの時点でプリクリ様が健在であったことを示すのが本来の目的だったのではないだろうか。
子供ブロイラー
子供ブロイラーとは、おそらく、ピングドラムをすりつぶす場所・工場のこと。ピングドラムをすりつぶされた子供たちには敷かれたレールに沿った未来しかなくなる。乗り換えるべき運命などなくなってしまう。定まった運命のままに生きるしかなくなる。それが透明になるということ。
果実の形をしたリンゴ(苹果)とは、運命に、つまり、あらかじめ定められた未来に、たどり着くまでの“命”。そして選択した未来を生きてゆくための命。過去形のピングドラムも選択の時期が訪れるまでは未来系のピングドラム。ピングドラムは命の形をしている。子供たちは幼ければ幼いほどたくさんのピングドラムを、命のリンゴを持っている。子供たちはひとつずつ、1ヶ月に1個ずつ命のリンゴを消化しつつ未来へと命の歩みをつづける。
眞悧には、人間からリンゴ(命)を与奪する能力がある。眞悧が与奪するリンゴ(命)とは、選択された運命である現実世界を生きてゆくための命。ピングドラムのためにあらかじめ付与えられていた命とは意味合いが異なる。眞悧はピングドラムを信じていない。
高倉両親の指名手配の当日、高倉家の下駄箱に置かれた3個の苹果は、晶馬が語る女神さまの罰によって陽毬から取り出された陽毬の命。女神とは眞悧のことである。避難先のホテルのベッドの中でも、陽毬はその身から苹果をひとつ取り出していた。陽毬は1日に1個ずつリンゴ(命)をとり出し続けた。これが眞悧が与えた女神様の罰。つまり、女神様の罰は家宅捜索の3日前から始まっていた。
選ばれない子(選ばれない運命)だった陽毬を、こどもブロイラーのベルトコンベアから引き戻す晶馬。結果的に、晶馬によって陽毬のピングドラムは、すり潰されずに済んだことになる。晶馬が言う“運命の果実を一緒に食べよう”とは、未来を共有しようという意味。また、運命の至る場所の“場所”とは“時間軸上の座標”の意味。そこまでの命を共有しよう、いっしょに生きようといったのと同義。
TSMはなぜモノレールなのか
(ナレーション)「かつてのシステムのような利便性への傾倒は許されないのです。
そこに人の心を反映させることが不可欠なのです。」
パラレール=2条の並行した運命、運命の乗り換えができる
モノレール=唯一の運命、運命の乗り換えができない。
地下鉄が、二度と運命の乗り換えができないように、つまり、二度とテロの対象にならないようにという暗喩。そして願い、あるいは祈りか。別の言い方をすると、2条のレールの内、片方を“すり潰した”とも言えなくもない。モノレール化の目的は、子供ブロイラーの目的と同一であるようだ。ただし、結果論になるが、モノレール化には運命の乗り換えの阻止という目的に対しては実効性がなかったようだ。
つづく
ー 目次 ー
アニメ 輪るピングドラム 第24話(終)
ピングドラムとは
冠葉から渡された半分のリンゴの方ではなく、渡されなかった半分のリンゴの方。陽毬の手から消えていった半分のリンゴの方。それがピングドラム。
ピングドラムとは、”選ばれなかった未来”、あるいは、”選ばなかった未来”のこと。子供ブロイラーとは、ピングドラムをすりつぶす場所・工場のこと。ピングドラムをすりつぶされた子供たちには敷かれたレールに沿った未来しかない。それが透明になるということ。
果実の形をしたリンゴ(苹果)とは、未来にたどり着くまでの“命”。子供たちは幼ければ幼いほどたくさんのリンゴを持っている。ひとつづつ、1ヶ月に1個ずつリンゴを消化しつつ未来へと命の歩みをつづける。眞悧には、人からリンゴを与奪する月の女神の能力がある。高倉両親が指名手配される3日前から、陽毬は1日に1個ずつリンゴ(命)をとり出されていた。それが眞悧が与えた罰。マリオも同じような事情だろう。
晶馬が言う、運命の果実を一緒に食べようとは、未来を共有しよう=愛してる、と同義。賢治による”愛”の定義は、“どこまでも一緒に行かうとする”(「小岩井農場」)こと。したがって、”未来の共有”とは賢治風の愛。
サソリの炎
駅名票:命(the lives) = 蠍の炎(the Scorpion fire)
命(複数形)とサソリの炎(複数形なし、罰)とは可換であるとの意味。炎はたくさんの命と交換することができる=たくさんの命を救うことができるという命題。
冠葉父と高倉両親もサソリの炎の持ち主。炎はたくさんの命を救うことになるという命題を信じ、しかし、手段を誤ってしまう。というより。誤らさせられてしまう。なぜ誤るのか。それは、眞悧が冠葉父や高倉両親の心の暗黒面を煽りたてたため。結果、たくさんの命を奪うことになる“テロの炎”を使う。“テロの炎”は多くの人びとを殺傷してしまうことになる罰。
乗り換えの呪文
冠葉の命と陽毬の罰とを交換する苹果の乗り換えの呪文が”運命の果実を一緒に食べよう”
晶馬の命と苹果の罰とを交換する晶馬の乗り換えの呪文が”ありがとう。愛してる”
陽毬は南十字(乗り換え後の毬が生存する世界)で銀河鉄道を降りた、冠葉と晶馬はそのまま乗って行った。ペンギン達がついて行った。
運命日記
もともとは、空の孔分室にあった書物。タイトルは「カエルくん妹を救う」。日記の記述にそってひとつひとつ実現してゆくと、実現した未来が永遠の真実になるという預言書だが過去と未来は曖昧。
運命の乗り換えの副作用。
乗り換えには、関係者全員のピングドラムが使われた。桃華の言う、あなたたちのピングドラムの”あなたたち”とは、晶馬と冠葉だけに限らない。多蕗、ゆり、真沙子、マリオ、陽毬、苹果、池部の叔父夫婦も含んだ全員のピングドラムのこと。
苹果は、苹果自身が残留する未来は選ばなかった。しかし、それがゆえに苹果が残留する未来となった。
前の世界では、多蕗は桃果に囚われている、ゆえに多蕗がゆりを愛するという未来は選び得なかった。しかし、乗り換え後の世界では、多蕗がゆりを愛するという、選ばれることがなかったはずの未来、(ピングドラム)が使われた。前世の記憶があることと未来が可変であったこととは別のようだ。
ヒカリとヒバリのピングドラムも使われた。ヒカリとヒバリの新世界での”ダブルH”という未来がそれ。それ自体が前世界では選ばれなかった未来。では、ヒカリとヒバリが前の世界で選んでいた未来とは何か。それは当然、”トリプルH”という未来。ふたりは、いつの日か、”トリプルH”という未来が来ることを信じて、ずっと、待っていた。だから、陽毬のマフラーをよろこんで受け取ったし新曲CDを渡しにもやって来た。
ペンギン帽
桃華が持ち去るペンギン帽。陽毬・マリオが月の女神・日の神という運命から解放される。
晶馬と冠葉はどこに
二枚貝説を適用するw。銀河鉄道から消えた冠葉(カンパネルラ)は、過去世に転生し真沙子とマリオの父となる。また、晶馬(ジョバンニ)は、陽毬や苹果と同一時間軸の地上に戻る。さいわいなことに、ピンドラの世界は多元宇宙世界でないようだ。銀河鉄道を降りた晶馬は病気の母の元へ牛乳を持って帰る。ある日、苹果が振りむくと山下に絡まれている晶馬がそこにいる。
総評
開いたまま終わるかとおもいきや、十分ではないけれど必要な分だけ、この最終回30分ですっきりきっちりと畳みこみました。さすがです。といっても他の作品は未見ですが…。ピンドラは、わたし的には、まどマギを超えました。一票の支持票代わりに、iTuneで「HHH」 TRIPLE Hを買いました。
アニメ 輪るピングドラム 第23話
眞悧と桃果の出会い
二人の出会いは空の孔分室ではなかった。空の孔分室での桃果の残像が真実なら、電車の中での名乗りは矛盾。電車の中での名乗りが出会いなら、空の孔分室での桃果の残像は矛盾。
昔、2000年にNHK「深く潜れ」というドラマがあった。ピンドラと同じように、毎回、謎だらけ、なんだこりゃ、の連続だった。最終回、謎は謎のまま放置され、tohko「PUZZLE」という主題歌、つまり解けという制作側のメッセージを残して、おもいっきり開いたまま終わった。そして、考察が始まった。考察してゆくと、すべてのピースが収まるべきところに収まった。ドラマとしては筋が通っていたことが判明した。「生きられるんだよ」というトートロジー。それがテーマだった。そして、「銀河鉄道の夜」のモチーフも見つかった。
23話まで見て、ピンドラには論理的な精緻さは無いと思う。ドラマという論理性の他にあるのは情緒的な扇情。生存戦略、ピングドラム、氷の世界、子供ブロイラー、透明な存在、などの観念的な言葉。下敷きとしての「銀河鉄道の夜」。たぶん、マーブル・ジェラートのようにそれらは一体化することなく、ほとんどの謎や秘密は開いたまま終わると予想する。
晶馬と陽毬
浜辺で迷子になった陽毬。見つけてもらったときの泣き方が、「千と千尋の神隠し」でハクのおにぎりを食べた千尋の泣き方に似ていた。千尋はでかい涙をボタボタ落とす。ハクがおにぎりにかけていた“まじない”は“浄化のまじない”。涙は千尋がこらえていた不安や恐れ。次の日、千尋が落とした涙は海になった。陽毬が流した涙。その涙は凍った心が解けた涙。その涙は夜の世界の河となる。この場面は「千と千尋の神隠し」のオマージュ。陽毬は涙の河の中で晶馬にキスをする。互いに握り締める手と手が唇の暗喩。
陽毬はすでに夜の世界にも存在している。病室を漂う雪の結晶は、これまでは星だったのところと同じ演出だが意味は不明。“いつまでも一緒”というのは、超越者(月の女神)として晶馬と常に同時に存在しているという意味か。陽毬はもうすぐ地上世界の存在ではなくなる。冠葉がテロを成功させても、陽毬という肉体は、なくなってししまうのだろう。存在するが目には見えない透明な存在。死ぬのではなく3号やエスメラスダのように透明になり見えなくなる。“ああ、なにもかもみな透明だ…”と。
苹果と晶馬
雪の降る中。晶馬に寄り添う苹果。寒々とした世界の中で、行き場をなくした2つの悲しい心と心、心臓と心臓が寄り添う。降る雪が夾雑物を覆い隠し、死に行く妹を想う悲傷の美しさと、寄り添うふたつの命のかすかなあたかかみだけを際立たせる。あの瞬間、世界には、悲しみとあたたみしか存在していない。
桃果
ペンギン帽子が、晶馬に「おはよう」と話しかけるという奇抜。あなたたちのピングドラム、ということは日記は桃果固有のピングドラムで、桃果のピングドラムが燃えてなくなったことで、晶馬と冠葉がピングドラムを得る状況が整ったということなのか。まあ、白テディが黒テディを貫いて爆発を止めるという状況になるのだろうけれど、それよりも眞悧が倒される状況が重要。
眞悧
眞悧は人が嫌い。人は箱の中に入っているから。箱の中から“助けて”と叫ぶ。眞悧には運命の乗り換えの能力はない。だから箱を人を壊す。うーん、観念的過ぎてよく解らない。
毎回、あらたな謎、謎、謎。逆に、理不尽であることが作品のテーマなのではと考えてしまう。最終回、残りたった30分でどれだけの理不尽の限りのを尽くすのか、予想もできません。ワクワクです。
アニメ 輪るピングドラム 第22話
陽毬の死
眞悧「もうあの薬は効かないんだ。(じゃあ陽毬は)死ぬね」
やはり、アンプルは偽薬。そして、第12話のデジャヴ。
眞悧「シビレルダロウ。君の妹、高倉陽毬は今夜また死ぬよ」(第12話)
あの日は11月の満月の日。また陽毬が死ぬ。つまり、陽毬が星に貫かれた今日は、あの日からちょうど1ヶ月目。すなわち、12月10日かその前日、満月、皆既月蝕は関係あるか。
さらに、12話で眞悧は鷲塚医師の机の上に南極探検隊の写真を置いた。前回21話の、鷲塚医師にふぐ鍋を食べさせたのは、12話の時点の出来事ではないのだろうか。あの頃から、眞悧はこの世界で実体があるかのように振舞っている。
回想、イリュージョン。眞悧の左右に高倉両親
眞悧「1つだけ妹を救う方法があるんだ。君が僕達の呪いにすなおに従えばいいのさ」
陽毬の色仕掛け。冠葉はやせ我慢。陽毬が死んだら冠葉はこの世界(エロ本)を焼き尽くす。冠葉「陽毬、おまえは俺のすべてなんだ」
眞悧の左右が高倉両親というのはうそ臭い。メリーさんが犯した罪とは、女神の罰あたえるとは、それは、高倉両親が罪を犯したからではないか。だれに対する罪かとうと眞悧(月の神そして日の神)に対する罪。眞悧と高倉両親が仲間であるなら、そもそも罰を受ける理由がない。
そのうえ、対立する2つの派閥と行動があってこそ、第三勢力たる桃果が介入できた余地があったのではないか。
水族館
陽毬「神様、わたしが冠チャンからもらった全てを、命を返しますから」
冠葉から命をもらったのはクリ姫。陽毬(私)とクリ姫(私)を同一視しているという意味か。
とつぜんの星空、陽毬を貫く星、倒れる陽毬。3号透ける。陽毬を貫く星の左右に青い星と赤い星。青い星と赤い星は誰を貫いたのか。
回想:10年前。檻の中の晶馬。陽毬は月の女神。だから侍従たる晶馬はウサギ。檻に囚われたのは、ウサギだったから。そして、多蕗の檻の中の鳥(カラス)のモンタージュ。しかし、陽毬が星に貫かれたのと同時に、晶馬と、そして苹果の中の“ウサギ”が顕在化しているのではないだろうか。
ラーメン屋
刺されたのは多蕗。刺したのは元情婦。元情婦はKIGAグループの構成員。たぶんw
多蕗「ゆり、やっとわかたよ
どうして僕達だけがこの世界にのこされたか
たった一度でもよかった。
だれかの愛しているという言葉が僕達には必要だった」
多蕗とゆりがこの世界に残されたのは、お互いに愛を交わすことができる相手だから。ゆりが多蕗を愛すれば、多蕗もゆりを愛することができるという謎。それを桃果は見抜いていた。という意味か。でも、それも美しい勘違いではないだろうか。そう、桃果が再登場するまでの…。
地下構造体
警察の待ち伏せ。オレンジ玉。警察車両を爆破する冠葉。警察も知らないはずの地下構造物に現れる警察
銃声に続いて傷を負う冠葉。真沙子が盾となって冠葉を逃がす。多数の銃声。
冠葉も真沙子もペンギンとダメージを分けあっているから死ぬことはなくて“入院”になる。
追記:12/13
眞悧の言う「ひとつだけ妹を救う方法」というのは、眞悧の弱点である“日記”を入手すること。わざわざ冠葉が“森”に出向いたのは、真沙子を誘い出すのが目的。爆破した車両は公安・警察の車両であった確証はない。また、地下構造物で冠葉の爆弾に倒されたように見える機動隊(らしき)者たちも同様。冠葉が傷を負ったのも真沙子が盾になると計算の上。黒服に背負われて脱出するとき1号の手をしっかり握っていたことが、冠葉にしっかりと意識があったことの証拠。自身の傷の回復の速さは経験済み。真沙子はゴム弾あたりに撃たれ入院することになるだろうが、エスメが真沙子のダメージを分担し、よっぽどのことの無い限り心配するような状況に陥ることはないと見通している。つまり、一時的に真沙子を無力化しようと計画した。(やり過ぎだよw)
(病院)
今回のエピソードのすべては、関係者を病院に集合させるのが目的ではないだろうか。陽毬も病院に収納されるだろうし、自動的に晶馬・苹果も病院に来る。多蕗、ゆり、冠葉、真沙子、陽毬、晶馬、苹果が病院に集合する。運命日記の前半は連雀が持ってくるのだろう。
「カエル(変える)君、東京を救う」
眞悧は16年前の事件で肉体を失った。しかし、魂は存在している。眞悧とその同類にとって、肉体の死は魂の死と同義ではない。眞悧が桃果を空の孔分室から落としたのは、桃果の魂を肉体に縛りつけ、縛りつづけるためではないか。なぜか。それは桃果が“変える君”だから。
12話で、眞悧のリンゴで、心停止から生き返った病人の正体が桃果だと思う。ひと月に命のリンゴをひとつだけ与えられ、16年間、意識を失ったままベッドに縛り付けられている。そして、意識をうしなった肉体に桃果の魂もまた縛り付けられている。
結末は、以下のようになるのではと思う。
・桃果と陽毬が命を落とす=肉体を失う
・眞悧が消える。
・世界からペンギンマークと子供ブロイラーがなくなる
・1号・エスメがカラスに、2号・3号がウサギになる
アニメ 輪るピングドラム 第21話
ラーメン屋。噛み合わない会話。屍体。
はたして、あの白骨死体が高倉両親のものかどうかは、かなり懐疑的。組織の幹部の死体を放置した場所に、わざわざ出入りするのか。幹部の生死は不明のままにしておくのが戦略的。証拠隠滅を図るのが当然。わざわざ、ジャンバーや名札を残しているるが、わざとらしい。したがって高倉両親の生死はいまの時点ではやはり不明と言わざるを得ない。
ラーメン屋での両親と冠葉との会話が噛み合わないのは、会話がリアルタイムの会話ではないから。かつて両親の失踪前に交わした会話の記憶。営業中らしいラーメン屋の風景もかつての記憶。
ゆりの登場。週刊誌記者は、ゆりが多蕗の消息を知るため高倉家周辺情報を流して利用していたのではないだろうか。新任高校教師が週刊誌記者と繋がりがあると考えるより、芸能人であるゆりがツテを持っていたと考える方が妥当。
その週刊誌記者は、歩道橋で冠葉が実行指令を下した直後、事故に遭う。あの衝突ではトラックの運転手も無事に済みそうもない。冠葉が事故を仕掛けたようにも見える演出だが、事故は故意ではなく偶然だった可能性が捨て切れない。
黒服の多蕗・ゆりへの襲撃も、冠葉の実行指令の直後に起こっている。タイミングでいえば、冠葉の実行指令は、多蕗襲撃指令だったかもしれない。
黒服のターゲットは誰か。冠葉がラーメン屋に現れたのは、多蕗の事件の後。死体のあるラーメン屋で金を受け渡しするのは、やはり、多蕗をおびき出すのが目的。案の定、多蕗が現れる。黒服がナイフを振う。おそらく殺害までは意図していない。警告として多蕗に怪我を負わせ、死体を見とどけさせれば、それで多蕗の追求は終わると考えたのではないか。それ以上、多蕗が関わってくるならは、それはその時のこと。そもそも、多蕗殺害が目的であれは、K.高倉の白骨死体があるところに誘導する必要がない。
刺されたのは誰か。多蕗ではないかと思う。黒服のターゲットは多蕗。多蕗は、K.高倉の死体も見届けた。復讐のターゲットの喪失。多蕗にはもう何も残っていない。むしろ、ゆりをかばって傷を負う。自暴自棄。黒服はおそらく多蕗に傷を負わせれば目的が果たされる。
第一、第二勢力、そして、第三勢力
高倉父「この世界は我欲に満ちた者たちが作ったルールに支配されている」
“我欲に満ちた者たち”とは、鷲尾医師がいう“眞悧がリーダをしていた犯罪組織”。眞悧の組織の世界というのは闇ウサギが支配する。1ピースの世界。それは、子供ブロイラーの有る世界。これが第一勢力。
高倉両親の行動の目的は“ルールに支配された世界”を変えること。闇ウサギが支配する世界を、昼の世界と夜世界に2ピース化すること。それは、子供ブロイラーの無い世界。したがって、KIGAの会は第二勢力。しかし、KIGAの会の闇の部分(テロという手段)は、眞悧が増幅し支配することが可能な部分かもしれない。
第三勢力が桃果。そもそも、眞悧の知覚の範囲外。桃果の介入は予期しない突然の介入だったはず。眞悧は肉体を失い、左右の従者を死なせ、彼らの黒ウサギだけが残され、生き残った構成員はピング・グループ(表)とKIGAの会(裏)に組み入れられる。桃果は眞悧の報復を受ける。
テロでの犠牲者というのは眞悧の組織の表と裏の構成員だけだった可能性もある。
鷲尾医師、ふぐ鍋。眞悧は16年前死亡。幽霊のようなもの、月の女神を兼ねた日の神。人外の存在。眞悧は、再度、肉体を手に入れようとしているのではないか。
眞悧「かつての同胞から、その子供たちへぼくの意志が引き継がれる」
このセリフには、眞悧のいう“ゲーム”の性格の言い表しがあるとすると、冠葉、晶馬、陽毬、真沙子、マリオ、全員を引きこんで眞悧の支配下におこうとしている意図が透けてくる。
かつまた、眞悧の第一勢力の一部がKIGAの会に入り込んでいることの示唆があるのではないか。冠葉父は、じつは第一勢力の生き残りかもしれない。そして、冠葉父の意志に反して、冠葉が高倉父に心酔していったとすると、冠葉父の“冠葉との家族作りに失敗した”というセリフになるのかもしれない。
ほどけた絆
マフラーを差し出す陽毬。マフラーは“絆”だった。冠葉が晶馬をなぐる。冠葉の手は、すでに完治している。包帯をしていたのは多蕗向けの偽装。ダメージは1号2号へ。晶馬が殴られると当然2号もダメージを受ける。ほどける包帯は“絆”の暗喩。
眞悧→晶馬「陽毬はもうすぐ死ぬ」
眞悧→陽毬「陽毬は死なない」
眞悧→冠葉「陽毬は治る」
これは、実俊の分断策。
なぜ晶馬は陽毬をおじの所に送るのか。パンダのタマゴのお菓子が池辺のおじの訪問を意味している。池辺のおじと陽毬とは血縁があるのかもしれない。借りたものを返す。晶馬は命短い陽毬を、血のつながったの実おじの元へに返したのかもしれない。高倉陽毬のままだと犯罪者の娘として好奇の対象にされかねない。池辺家の緋鞠だと一般人の娘。そう考えたのではないか。
陽毬の薬代は、KIGAの会の金。冠葉が殺されるという真沙子の警告。冠葉が稼いでくる金は冠葉が自らの命を引き替えた金であることを意味する。冠葉を止める、冠葉を救う、という陽毬の決意。陽毬「命に替えても」。
冠葉が金を稼ぐ動機は、陽毬を治し陽毬を救うため。このジレンマから冠葉を救うには、陽毬自身が陽毬の命を贖うしかない。しかし、陽毬は死なない。自死以外の手段を選択する必要がある。その手段とは“ピングドラム”の入手。
ピングドラム
いまここ(あと3話)にきて、もはやピングドラム≠日記の訳がない。時籠ゆりはドラム。ゆりが所有しているのは日記の後半部分だからドラム。となれば、真沙子が所有している前半部分がピング。
苹果が晶馬から陽毬不在の訳を知らされる。苹果は、陽毬を晶馬のところに取り戻そうと池辺のおじのところを訪ねるが、陽毬は来ていない。日記を奪ったのがゆりだとも聞かされる。苹果は、ゆりから日記を返してもらう。前半分も真沙子から返してもらう、強引に。そして、陽毬発見。クリ姫登場。苹果が呪文を言わされる。