愛してる
翼
ペンギン達の体の横にあるもの、じつは、あれは手ではなく翼。かなり器用にものを掴んだりしているが、構造上、翼以外の何物でもありえない。“翼”がキーワードである、と仮定してみると何か見つかるだろうか。
最終回、陽毬を抱いた冠葉が背中からすり潰された多数の氷の破片を散らしながら歩く。あの氷の破片が散らばる形が翼の形に見えないだろうか。完全にすり潰された冠葉だった氷片は、最後の瞬間に翼のイメージとなって飛び去り、消える。晶馬が苹果から代償の炎を引き受け、一瞬に焼きつくされ炎の姿となって、消える。あの炎の形が翼の形に見えないだろうか。ちょうど、サモトラケのニケを左横から見た時の翼の形に似ているように思う。あの冠葉だった氷片と晶馬だった炎が翼のメタファだとすると、なぜ、冠葉と晶馬は翼になるのだろうか。なぜ翼を持つのだろうか。翼に意味があるとしたら、翼はどんな意味を持っているのだろうか。
もしも、翼になんらかの意味があるとしたら、他にも翼を持つ者がいるはず。そういう演出を探す。背
中合わせの多蕗とゆりがいた。それぞれがお互いの翼になっているように見えないだろうか。ゆりが多蕗の翼。多蕗がゆりの翼。多蕗はゆりに“愛してるよ”と言う。ゆりも多蕗に“愛しているわ”と言う。そういえば、晶馬の最後のセリフも“愛してる”だった。つまり、翼=愛、だれかを愛した者の象徴(シンボル)という意味なのではないだろうか。
“リンゴは愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもある。
むしろ、そこから始まると賢治は言いたいんだよ”
このセリフは、第一話と最終話に都合二回出てくる。二回出てくるということはこのセリフが重要な鍵を持っているということ。「大事なことなので二回言いました」のはず。
“愛による死を自ら選択した者”とは最終回の冠葉と晶馬に合致する。すると、単に、だれかを愛した者とするよりも、一歩踏み込んで、“愛による死を自ら選択した者”の象徴が“翼”なのかもしれない。そして、“むしろ、そこから始まる”とは、“翼”になった冠葉と晶馬のその後のこと。その後のこととは。・・・そういえば、ペンギンは“翼”を持っている。
大君(おほきみ)は神にしませば天雲の雷(いかづち)の上に廬(いほ)りせるかも(万葉集 柿本人麻呂)
古代、神とは死者のことでもあった。そして、ペンギンは神である。ならば、ペンギンとはかつて“愛による死を自ら選択した者”なのではないだろうか。すると、このセリフの中の“リンゴ”とは、その本質において“翼”と同じ意味を持つように思える。“リンゴ”をその本質たる“翼”に置き換えると次のようになる。
“翼“は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもある。
だとすると、冠葉と晶馬のその後の運命とは、笑ってしまうが、ペンギンになる運命なのか。
愛してる
晶馬「これは、僕達の罰だから。ありがとう。愛してる」。
それにしても、なぜ、晶馬の最後の言葉が“愛してる”だったのか。なぜ、最終回の題名が“愛してる”なのか。
次のセリフは第22話、最終話と二回に渡って繰り返される。ふたたび、とても大事なことなので二回言いました、というところか。
余談だが、第23話ではゆりが苹果に運命日記の後半を返却する際に類似したセリフを言っている。「やっと解ったの。これは桃華があなたに残したものだった」と。でも、実際は、運命日記は桃華を封じていた封印だったようだ。運命日記が燃やされることで封印が解けた桃華は、晶馬に「おはよう」と語りかける。
ゆり、やっとわかったよ。
何が。
どうして僕達だけがこの世界に残されたのかが。
教えて。
君と僕はあらかじめ失われた子供だった。
でも世界中のほとんどの子供達は、僕達と一緒だよ。
だから、たった一度でもよかった。
誰かの愛しているって言葉が僕達には必要だったんだ。
最終回、二回繰り返されたセリフの答えとなるセリフが続く。
たとえ運命がすべてを奪ったとしても、
愛された子供はきっと幸せを見つけられる。
あたしたちはそれをするために世界に残されたのよ。
愛しているよ。
愛しているわ。
ずっと、生まれた時から桃華の代わりを努めさせられてきた苹果。苹果自身も桃華になろうとしていた。なぜか。両親が愛していたのは桃華。桃華になれば、両親に愛してもらえるから。つまり、苹果は、両親に愛してると言ってもらいたかったから。苹果が幸せであるならば、家族も幸せになれるはず。
晶馬「君は、君じゃないか」
苹果は、ずっと桃華になろうとしてきた。両親に愛される子供になろうとしてきた。けれども、晶馬の言葉は、苹果はけっして桃華になれないと断言したようなもの。苹果は晶馬が好き。少し冷たいところもあるけれど苹果が好きなのは晶馬。苹果が苹果のままでいれば、晶馬は苹果を愛してくれるのだろうか。晶馬が苹果を愛してくれれば、苹果はきっと幸せを見つけられる。
晶馬「ありがとう。愛してる」
晶馬の言葉の意味は、
君はきっと幸せを見つけられるというメッセージ。クマのぬいぐるみの中の手紙の意味も同じ。陽毬を大好きなお兄ちゃんがいた。けれども、それは別の世界の話。乗り換える前の世界の話。あの手紙自体が、もはや過去形の
ピングドラム。選ばれることがなかった陽毬の運命日記の1ページ。しかし、メッセージの意味は同じ。
お前はきっと幸せを見つけられる。すべてを奪った運命すらも超えて残され伝えられたメッセージ。
真砂子。ええ、とても不思議な夢。わたくしにお兄さまがいたの。お兄さま。わたくしの双子のお兄さま。お姉さまに似てらした?いいえちっとも。とても不器用な人だったわ。だけどわたくしのことを大切な妹だと、愛してると言っていたわ。・・・まあ、ことさら否定的な指摘するのは野暮か。
リンゴは宇宙
だからさ、リンゴは宇宙そのものなんだよ。手のひらに乗る宇宙。この世界とあっちの世界をつなぐものだよ。あっちの世界?カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。それにリンゴが何の関係があるんだ。『つまり、リンゴは愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。でも、死んだら全部おしまいじゃん。おしまいじゃないよ。むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ』よ。ぜんぜんわかんないよ。愛の話なんだよ。なんでわかんないかな。(『』内は最終回)
僕はもうあんな大きな闇の中だって怖くない。
きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう
(ちくま文庫 宮沢賢治全集7 「銀河鉄道の夜」)
ピングドラムを探す物語は、運命の乗り換えを行ったことで、幸せを探す物語に変わっていた。
おわり