ピンドラ再考 桃華の神様とは

桃華の神様とは

私ね、運命の乗り換えができるの。
この日記にある呪文を言って神様にお願いするの。
そうするとね、電車を乗り換えるように運命を乗り換えることができるの。
乗り換えてみる?
だってこのままだとゆりは死んでしまう。

桃華のいう神様は、結局、本編に登場しなかった、…のだろうか。もしも、登場していたとしたら、桃華の神様とやらは、いつ、どこに、どんな姿で存在していたのだろうか。そして、桃華は、いつ、どこで、どうやって神様にお願いしていたのだろうか。

作品中には、ある特定の人物からは可視で、それ以外の人物からは不可視の存在がでてくる。そう、ペンギン達。“ペンギン達が桃華の神様である”と仮定してみるといろいろと合点がゆく。

街のいたるところにあるペンギンマーク。ピンドラの作品世界ではペンギン印が人気化している。なぜだろう。端的に言ってペンギン=神だからではないのか。特定の人達とその人にしか見えないペンギン達。そのペンギンが見える特定の人達。彼等または彼女等がペンギンの姿を商標・シンボル・デザインとして絵また文字に写し取っていったのではないだろうか。特定の人以外に見えないペンギンがいて、見えないからこそ人々はペンギンの存在には無関心。晶馬がゆりを説得するのにペンギンの存在を持ちだしたらしいが、ゆりには理解不能だったように。

ゆりのハンドバッグがペンギンに酷似しているのは、桃華のペンギンがハンドバックになったと解釈するより、ハンドバッグのデザインとしてペンギンの姿を写しとったデザイナーがいた。と考えたほうがいいかもしれない。ゆりが桃華を回想するとき、桃華の象徴は東京タワーであってもハンドバッグではなかった。つまり、ハンドバッグはゆりにとって桃華の縁(よすが)となるものではなかったということだろう。したがって、ゆりのハンドバッグは、ピンドラ世界にあふれるペンギン・デザインの物品の一つと捉えていいだろうし、したがって、ゆりにはペンギンは見えていなかったと思われる。

ペンギンはペアとなる人間の性格を写す

1号は、冠葉の異性への関心を、2号は、晶馬の異性への苦手意識を、3号は陽毬の編み物への関心を写す。編み物は家族関係の暗喩でもあるようだ。

ペンギンはペアとなる人間のダメージの大部分を引き受ける。

ペンギンの役割として明らかなのは、ペアになる人間が受けるダメージを引き受けていること。晶馬が乗用車に轢かれたり、冠葉がトラックに引きずられたり、ワイヤーに手を削られたりしても人間にダメージはほとんど残らない。真砂子がフグの毒にあたっても、池袋の地下構造体で瀕死の重症を追っても、目覚めるとにダメージはほとんど残っていない。また、ダメージを分担するだけではなく、ペアになる人間のブースト(増強)も行なっていたようにも思える。陽毬が多蕗に建設用ゴンドラに吊り下げられ落とされようとする時、落下するゴンドラを支える冠葉を1号がブーストしていたような演出があった。

ペンギンはペアとなる人間のお願いを聞く

よくよく作品を見直すと、ペンギン達にはもう一つの役割がありそうだ。ペンギンたちは、人間の頼みごとを断らない。頼みごとではなくお願いごとと言い換えてもいい。最初、冠葉は1号にキャベツを千切りするよう頼んだようにも思えるし、2号も、晶馬に傘を持っていってくれと言われたらしいし、晶馬の財布を取ってくることも暗黙のうちに依頼として引き受けていたように思える。苹果の学校やビルの壁面をつたっての盗聴・監視の言いつけにしても言われたままに実行している。その後も、とくに、1号が冠葉の仕事を手伝っていたように見受けられる。

3号が、陽毬を空の孔分室に連れゆき、「カエル君、東京を救う」を探し出したことも、陽毬が「ペンギンさんも探してくれる」と言った言葉を3号が依頼と受け取ったがゆえではなかろうか。エスメラルダにしても真砂子の指示を実行していたように思われる。とくに、旅館でゆりに対する目くらましの実行などが典型であろう。

ペンギンは特別な存在の人間との間で明瞭な意思疎通ができる。

また、ペンギン達は互いに意思疎通が可能なようだ。それも、遠隔地間で意思疎通が可能なように思われる。高倉家崩壊にあたって、晶馬は陽毬を叔父の所へいけと送り出す。しかし、陽毬は冠葉の所に現れる。どうやって冠葉の居場所を知ったのだろうか。あそこは、ごくごくシンプルに「3ちゃん、冠ちゃんの所に連れて行って」と陽毬が3号にお願いしただけなのではないだろうか。

また、ペンギン達とプリクリ様との間にも意思疎通もあったらしい。苹果が“ストーカーのド変態女”であるという事実を冠葉や晶馬から聞かされたはずもないし、“この脳味噌ゲロ豚ビッチ娘”という罵倒は、プリクリ様が苹果が池で溺れた事実、晶馬がマウスツーマウスの人工呼吸をした事実、蘇生した苹果が晶馬の口の中にゲロを吐いたという状況をプリクリ様が把握していることを若干の嫉妬心とともに端的に表現した言葉ではなかったろうか。そして、その状況を詳細に正確にプリクリ様に伝えられたのは2号しかいない。

晶馬が車に跳ねられ病院に入院したという連絡を受けた陽毬が、危急の時にわざわざ病院に編み物セットを持っていっていたという行為は、はなはだ奇妙に映る。晶馬の入院の知らせから家を出るまでの間に、陽毬が晶馬の容態が極めて軽いという事実を知った、としか考えられない。これも、ペンギン達を通じて知っていたとするなら、陽毬としては落ち着いて粛々と入院の準備できただろうし、編み物セットさえも持って出ることができただろう。

このペンギン達の能力は、多蕗やゆりのケースにも適合しそうだ。桃華が、ペンギンを使いペンギンを通して多蕗に何が起こっているかを把握する。ペンギンに頼んで子供ブロイラーの多蕗まで案内させる。ゆりにしても、ペンギンを通して、ゆりが父親に何をされているか知る。桃華が多蕗とゆりに対してあたかも超越者のように振る舞えたのは、桃華にとってペンギンの存在と働きがあったからではないだろうか。

ペンギンは人間の願いを叶える。陽毬が冠葉を追っていった水族館での「神様、わたしが冠チャンからもらった全てを、命を返しますから」と言った直後に3号のカット。そして、苹果が乗り換えの呪文を発声した直後に2号のカット。演出は、二人の願いの言葉を受け止めたのがそれぞれ3号と2号だと言っている。

ペンギンは運命の乗り換えができる。

ペンギンは乗り換えの呪文も願いとして聞き届けるとするならば、16年前、桃華が眞悧の目の前で乗り換えの呪文を詠唱したとき、桃華の傍にはペンギンの存在があったはず。色はおそらく黒。黒ペンギンは桃華が日の神であることを表す色。桃華の黒ペンギンは眞悧の呪いによって引き裂かれ2つのペンギン帽となる。そう、ペンギン帽は桃華自身ではなく、桃華のペンギンが引き裂かれてペンギン帽子になったものと捉えた方が解釈する上で都合がいい。

病院のベッドに脳死状態で横たわる桃華の肉体があり桃華の意識はその肉体に縛りつけられている。しかし、桃華は引き裂かれたペンギン帽を通じてペンギン帽を被った相手と意思疎通が可能であったとする。そう考えるなら、桃華は、ペンギン帽を通じてプリクリ様にペンギンに関するノウハウと、この先、陽毬の生存には乗り換えが必要なこと、乗り換えにはピングドラムが必要なこと、桃華の運命日記はピングドラムの一つであること。運命日記の現在の持ち主のこと、などなどを伝えることができそうである。

ペンギンは乗り換えの奇跡を起こす神とも言える存在と考える。また、そうだとすると、ペンギンが見える人達も相当数に登ったはず。すでに、ピンドラ作品世界では運命の乗り換えは相当な回数に登っていたのではないだろうか。誰かが運命の乗り換えを行うと周りの人間の運命まで変わってしまう。それは巻き込まれた人にとって望んだ運命ではないのかもしれない。つまりペンギンとは、運命の乗り換えを行った当事者以外の第三者から見ると、勝手に他人の運命も巻き込んで変えてしまう困った存在にもなる。そこで、ペンギンへの対抗手段を検討したが、最終的にペンギン達の駆除・無力化は不可能という結論だったかもしれない。それならば、乗り換えには人のピングドラムが必要なのだから、逆にピングドラムを持たない人間ならば運命は変わりようがないはず。したがって、予防的措置として子供のうちにピングドラムをすり潰しておいたらどうだろうか。そして、その手段なら可能で、それが子供ブロイラーという考え方だったのではないだろうか。

そういえば、特定の場所で撮るとペンギンが写り込むスマートフォン用カメラアプリがあるようだ。これなど、いかにも実は不可視なペンギンがそこら中にいるのだ、という恣意的でいて暗示的なネタバレのような気がしないでもない。

 

ー 目次 ー

 ピンドラ再考 あなたたちのピングドラム

 ピンドラ再考 桃華の神様とは

 ピンドラ再考 愛してる