アニメ 輪るピングドラム 第15話

【晶馬への電話】

2号good jobというべきでしょうか。ペンギンは、いってみれば分身ですから、スマートフォンリテラシーも晶馬と分かち合っていて当然です。そして、ほとんど手が付けられていない料理がそこにあれば、2号が出没してもおかしくない状況です。それにしても、2号が晶馬にダイヤルして薬を盛られて朦朧としている苹果を電話口に出すという芸当は、すごい気のききようだと思います。さすがはアニメです。

ただ、“商店街の福引”ってのはベタだと思います。が、日本のアニメで“商店街の福引”はベタだベタベタだと指摘しても、そもそもが、“商店街の福引”は、サービスカットを導入するためにさまざまな作品に頻繁に取り入れられており、もはや、枕詞のようなベタですので、サービスカットがあったと言ってもいいと思うので、この類のベタは許容せざるを得ないでしょう。

さて、今回、2号はゴキブリを仕留め損ねました。ゴキブリを一瞬の舌芸で食べてしまったのはカエルです。2号(晶馬)=ムシ(女子)を寄せ付けない=草食系。カエル(苹果)=ムシ(男子)を一瞬の早業で食べてしまう=肉食系。そして、待ってたんだぞ(ぶりっ子)の苹果に晶馬は耐えましたが、ヤンデレ化した苹果には一瞬にして落とされてしまいました。たぶん、この先、晶馬は恐妻家になる運命が待ち受けています。

百合が晶馬を「あら、襲っちゃえばいいのに」というのには幾つかの複合した意味があると思います。が、おそらく、再びの百合行為を暗示しているようにも思えます。




【百合の記憶】

百合父がノミを振るっていた対象は、まわりの石像だと思います。実際、足がゴトリと落ちたカットがありました。苹果の足や腕に包帯があったのは本当に傷があったからではではないと思います。普通に歩いて登校していましたし、血が流れている描写もありませんでした。実際に、百合父が消えたとき、東京タワーを見上げる百合の体に傷は見当たりませんでした。百合父は、代償行為として石にノミを振るい、桃華には見せかけの包帯をしていた、ままごとのようにだと思います。ただ、フィレンツェのノミだけは特別の用途に使うはずだったのかもしれません。

ダビデ像タワーの周りをヘリコプターがバタバタと騒音をあげて五月蝿く周回していました。“五月蝿い”という語からの連想ですが、あのヘリコプターは“蝿”のメタファではないでしょうか。もしもヘリコプターのメタファが“蝿”であれば、蝿→屍体という連想も可能かと思います。

ひょっとすると、百合父は死臭をまとっていたのではないでしょうか。死臭がする百合父、そして百合父が百合母に向ける憎悪。百合母は不在。これらの状況からは“ネクロフィリア”という言葉が浮かんできます。

百合母は百合を産んで醜くなった、そして、百合も醜い、と百合父はなじりますが、それは、百合が小学校2年生の時の出来事です。百合が生まれた時から、百合父が母娘を虐待していたようには感じられません。百合には父親への愛情と信頼があるように感じられました。それは、逆にいえば、百合父が百合に愛情を注いていたからだと思います。しかし、ある日、突然、母娘を醜く思うようになった。考えられるのは、たとえば、百合が百合父の実子ではないことが最近になって判明した、とかです。

愛情と裏返しの憎悪。百合父が百合母娘に同じくらいの愛情と同じくらいの憎悪を同時に抱いていたとしたら、そして、百合母にそっくりの娘。百合母の不在の期間。死臭。毎夜のノミを使った改造行為。届いたばかりのフィレンツェのノミ。

  桃果「だって、このままだと百合は死んでしまう」

百合父は、フィレンツェのノミを使うと百合が百合父に愛される存在になると言う。死んだ百合=百合父に愛される存在。百合を待っていたのは百合母と同じ運命だったのでしょうか。

3月20日の事件の時のペリコプターは人死が出たことの暗喩だったのかもしれません。




【真沙子と百合】

真沙子は水着姿でした。これは、百合のプロファイルを調べて、陸上の逃走経路は取れないと判断した結果でしょう。

病院で晶馬を人質に取ったとき、真沙子が対冠葉、百合が対苹果、といういう役割で二人ツルンでいると思ってました。また、前回、真沙子が“女狐”狩りという言葉を使いましたので、“女狐”という言葉の“騙す・化かす”というニュアンスから、真沙子が百合に騙されたと感じているように思いました。ですので、中居の真沙子と百合の会話は、百合が“中居さん”と呼びかけたところから、皮肉がこもっていると思っていました。しかし、露天風呂でのバトル前、

  百合「わかったわよ。残り半分の日記はあなたが持っているのね」

あれれ、日記の半分は、百合が拾って真沙子に渡したんじゃないみたいです。もし、このセリフさえなければ、今回、百合が奪われた日記の半分は、真沙子が持っている日記の半分とぴったり一致したはず。なぜなら、病院で入手して真沙子に渡した日記の前半分は、当然、ニセ日記の前半分だったはずですから。でも、そうではなかったようです。



【桃果という存在】

運命日記=乗り換え、神様にお願いする。

桃果は、百合父とダビデ像タワーを消す代償が絆創膏1個程度だと認識していたようです。つまり、桃果には“乗り換えた”経験がそれほどあった訳ではなさそうです。ウサギを死の運命から救った。ほぼ、それだけの経験のようです。

日記を記していて、ある日、ウサギが死んだ。ウサギが死なないように運命を書き換えた。偶然か誰かが介在したのか。桃果は神様にお願いしたと言ってますから、“神様”に相当する存在の介在があったものと思われます。神様≠眞悧は自明です。眞悧が桃果の存在を知ったのは、桃果が一旦死んで空の孔分室に入り込んだ時です。

また、桃果の神様の能力は、運命を乗り換えること。眞悧の能力は、命の与奪。まだ、あたらしいキャラが登場するのでしょうか。それとも、この“神様”は既出のキャラの誰かなのでしょうか。はたまた、陽毬(クリ姫)と同じように、桃果の深層にいる存在なのでしょうか。多蕗-桃果-百合を三位一体と考えれば、桃果の神様は桃果の深層に居そうです。

あと気になるのが、小学生の百合が桃果の日記を手に取ろうとしたとき、桃果が制止したこと。しかし、その日記を苹果も百合も、ひょっとしたら真沙子も触れてもなんともない。これは3つの可能性をもっています。

  (1) 日記がほんものでない
  (2) 三人とも従僕なので触れても何も起こらない
  (3) 本来、何も起こらない

苹果も、百合も、真沙子も、常人以上の身体能力の持ち主だということははっきりしました。おそらく(1)ではなく。(2)が理由ではないかとも考えましたが、真沙子が持っている日記の前半が第三者の手を経ているのであれば、(3)になります。

百合の認識では、桃果は死んでいない。消えただけ。なぜなら、世界の景色が変わった、と言っています。ウサギのこと、百合のこと、日記に書いてあったのでしょうか。書いてあったのなら、日記は桃果が書いたことになりますが、それは先々のお楽しみ、なの?

 

つづく >輪るピングドラム 第16話