牧野立雄 隠された恋 れんが書房新社 1990年6月

コスモスの君と呼ばれたひとがいたそうです。ただ一度だけ、としを見舞った日本女子大でのとしの後輩。そのひとを見いだしたのが牧野氏です。口絵にそのひとの写真も載っています。

大正十一年七月に下根子桜に移されたとしの元まで、賢治が豊沢町からそのひとを案内したそうです。経路にもよりますが、豊沢町から北上川に向かうとイギリス海岸を通ることになります。帰りも賢治が送り、後日、賢治が包みを持ってそのひとの家を訪れた直後にそのひとの姉から宮沢家に縁談を断るむね申し入れがあったそうです。

“修羅”は仏教用語で、賢治のいう“修羅”に関しては宗教的な面を強調した論考を多々見かけます。しかし、修羅=結核罹患状態と解釈すると、人間の知性の観念的産物たる宗教よりも、むしろ人間の生物的な本能たる“恋”のほうが“修羅”と意外な親和性をもっているように思えてきます。

イギリス海岸に映るという影。「春と修羅」で代表される自由詩群。宗教が賢治を詩人にしたと考えるのと、恋が賢治を詩人にしたと考えるのと、どちらが納得できる考え方なのでしょう。

修羅=結核罹患説は、伊藤光弥氏による説です(「イーハトーヴの植物学」)。後期五作品の主人公が魔法や呪いに掛かっていると分析できる宮崎駿監督もそのように解釈している可能性があるように思います。