「春と修羅」 永遠の祈り

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春と修羅」には復刻版というのが存在します。昭和47年6月刊行の「精選 名著復刻全集 近代文学館」シリーズの一冊です。オリジナルは時折宮沢賢治展で展示されることがあり目にすることもありますが、いかんせん稀覯本の類であり古書の素人には手に取ることもページをめくることも許されません。だからといって、復刻版を入手できるかというと、それすらもなかなかに困難な状況です。が、さいわいなことに私の手元には復刻版が一冊あります。

復刻版を含め「春と修羅」の入手は困難であっても、それ以外の資料は比較的入手あるいは図書館での閲覧が容易です。新校本、宮沢賢治資料集成、それ以外にもたくさんの研究者による資料が出版されています。また、「銀河鉄道の夜」の原稿にいたってはカラーで原稿の裏表がそのまま写真製版された資料が宮沢賢治記念館で安価に入手可能です。この状況は、市井の研究者にとってかなりフェアな状況だと思います。とくに新校本の注釈の数々の精緻さを見るにつけそう感じます。

春と修羅」を手に取るとまずはカバーの手触りに、さらに開いてみると、その構成の特異さに気づきます。特異さとは、通常の出版物では巻頭にあるはずの目次が「春と修羅」では巻末に配置されているという点です。さらに「無声慟哭」の章と詩の目次が見開きの右側に、「オホーツク挽歌」の章と詩の目次が見開きの左側にあります。この見開き構成は二枚貝説では重要な意味をもってきます。

春と修羅」の挽歌詩が5詩づつ都合2章の10詩から構成されること。それぞれ5詩ずつの挽歌詩は、「無声慟哭」では成立時期の違いで、「オホーツク挽歌」では挽歌性の違いで3詩と2詩に分割できる、と指摘したのは吉見正信氏です。(「宮沢賢治の道程」挽歌詩その≪二章≫ 昭和52年、八重岳書房)。

二枚貝説では、さらに進めて、5詩とは北十字と南十字の5星のことであり、かつ、その意味するところは右手と左手の5指であると解釈し、「無声慟哭」と「オホーツク挽歌」が連続する意味を“合掌”であると解釈します。さらに、3詩の“3”については来迎三尊の意味であると解釈しています。

すなわち、「春と修羅」目次における見開きの5詩と5詩、これは5指と5指の意味であり、そのまま合掌を意味します。本を閉じた状態の「春と修羅」は、常に合掌している状態にあるといえます。

春と修羅」の発行日は大正13年4月20日。西暦では1924年ですので、すでに100年近い年月を合掌し続けていることになります。また、さらに長い長い年月を経ると復刻版も含めてオリジナルであっても紙という物質的な素材による合掌は朽ち果ててしまうことでしょう。しかし作品解釈上の合掌は朽ち果てることはありません。いったん書籍という物理的な存在を経ることで、この観念上の合掌は永遠の命を与えられたことになるのです。

さて、巻末に、合掌があるのなら、巻頭にある序文にもなんらかの意味を託されている可能性があります。抜粋すると“せわしくせわしく明滅しながら…”と序文のテーマは“輪廻転生”であることは明白です。二枚貝説の用語でいえば“螺(巻貝、指を組んだ合掌)”に相当します。目次は同様に“蛤(二枚貝、指を伸ばした合掌)”です。そして作品本体があり三尊構成になっていることが判明します。

銀河鉄道の夜」、「二十六夜」、「やまなし」が来迎という同じモチーフを持つ3連作であるというのは二枚貝説の主張するところです。さらに、「春と修羅」に作品単独で三尊構成が内在することが判明しました。おそらく、賢治の初期構想では、来迎3作品だけの構想であったろうと推測します。そこに追加で4作目となる「春と修羅」をわざわざ三尊構成に仕立てたのには何か意図するところがあったのではないでしょうか。“4”というのははなはだ中途半端です。この“4”は、5作目が存在することを暗に示しているのではないでしょうか。賢治構想で終着駅を象徴するのは南十字駅です。賢治ならば、“4”を“5(南十字駅)”にする工夫をしたはず。わたしはそう信じます。

ならば、“5作目”とはどの作品になるのでしょうか、5作目にふさわしい作品は現存しているのでしょうか。

つづく