織田正吉 絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く 集英社文庫 1986年12月

この文庫本を手にとったのは、和歌とかささぎの橋への興味からです。しかし、読み進むにつれて、和歌というのは、ありとあらゆる言語技法を駆使した言葉の芸術なのだということがわかってきました。織田氏が、百人一首という作品を縦横にさまざまな技法のフィルタを適用しつつ、精密な謎解きを進めてゆく様は圧巻です。

この本を読むまで、賢治の絢爛たる文学技法がどこからきたものなのか不思議でしょうがありませんでした。が、この本のさまざまな和歌の技法についての説明を読むにつれ、さまざまな賢治作品がイメージとして脳裏に浮かび上がってきました。

賢治は、としが清書した歌稿集など多くの和歌を残しています。ということは、賢治文学の基盤には、確実に和歌のリテラシーがあったとしてよいはずです。

大正時代はすでに新暦が通用しています。七夕というと仙台や藤沢のお祭りのイメージが強く、新暦の七月七日のことと思いがちです。しかし、和歌の世界では七夕は旧暦であり、俳句の世界では秋の季語となります。新暦と旧暦、そして七夕と秋と和歌が“かささぎ”という鳥の名に隠されていると気づきました。

賢治とは関係がないのですが、この本で、もうひとつ強く興味を引かれたのが、藤原定家によるとされる、いろは歌を折句として読み込んだ連歌でした。

一行をひらがら七文字ずつに分かち書きしたとき、行の最後の文字だけをつないで読んでゆくと“とがなくてしす”と読め、仮名手本忠臣蔵の“仮名手本”の暗喩とされているいろは歌。それが鎌倉初期の歌に折句として現れているという事実。いろは歌というのはいったい、いつ、だれが、どこで、なぜ、何のために作ったものなのでしょう。