「銀河鉄道の夜」成立時期について(再考)

 「 イギリス 海岸」 には 一 九 二三、 八、 九 の 日付 が 振ら れ て い ます。 この 日付 は 1923 年 7 月 31 日 ~ 8 月 12 日 の 北海道・樺太 旅行 中 で あっ た こと と、 作品 内容 により 前年 の 誤り、 あるいは 賢 治 自身 が 日付 を 疑っ た らしい メモ が ある こと から、 翌年 の 誤り という 説 も あり ます( 新 校本「 年譜」)。 作品 内容 を 検討 し て み ます。

  1. 作品「 イギリス 海岸」 には 大正 12 年 8 月 9 日 の 日付 が つい て いる。 しかし、 作品 内容 は 大正 11 年 8 月 の 生徒 たち との 化石 発掘 作業 の エピソード です。 発掘 し た 化石 を 東北大学 に 持っ て 行っ た という エピソード も 残っ て い ます。 松島 の 遊覧 船 沈没 と 同じ エピソード で 大正 11 年 の エピソード です。
  2. この 小さな イギリス 海岸 の 原稿 の 前半 を 8 月 5 日 に 宿直 室 で 書い た。 大正 12 年 8 月 5 日 は 樺太 旅行 中 の ため“ 宿直 室 で” 書く こと は 不可能 です。
  3. 半分 書い た 分 だけを 実習 が すんで から 教室 で みんな に 読ん だ。 賢治 の 生徒 の 証言 の 中 には 賢治 が 作品「 イギリス 海岸」 を 生徒 たち に 読ん だ という 話 は あらわれ ませ ん。
  4.  平 来 作 氏 に よる と「 イギリス 海岸 の 歌」 は 農学校 二 年( 大正 13 年) の 夏休み 賢治 と 一緒 に イギリス 海岸 で 水泳 し て い て 平 来 作 氏 が 溺れ た とき の 感じ を 歌っ た もの だ、 そう です。( 関 登久也「 賢 治 随 聞」 平 来 作 氏 聞書)
  5. 誰 か 溺れ たら、 いっしょ に 死ね ば いい、 という よう な こと まで 考え て いる 賢治 だっ た とは、 誰 ひとり 気づか なかっ た。 彼ら( 平 来 作 たち) は 後年「 イギリス 海岸」 が 活字 になり、 それ を 読ん で、 初めて、 新た に 愕然 と し た ので あっ た( 森荘已池宮沢賢治 の 肖像」「 イギリス 海岸」 津軽 書房 74) と あり ます。「 イギリス 海岸」 の 成立 は 大正 13 年 8 月 以降 の 可能性 が 高い よう です。
  6. この 川 の 岸 は イギリス の リアス式海岸 に 似 た ところ が ある ので、 イギリス 海岸 と 名付ける と 宮沢 さん が いっ た( 白藤 滋 秀「 こぼれ話   宮沢賢治」) が、 名付けた 日時 が はっきり し ませ ん。

日付 も そのまま 採用 し た 場合、 どの よう な 解釈 が 生まれる の でしょ う か。

  • その 作品 は、 大正 11 年 8 月 5 日 から 書き はじめ た
  • その 作品 は、 生徒 たち に 読ん だ( 予定?)
  • その 作品 には、 くるみ の 化石 の エピソード が 出 て くる
  • その 作品 には、 イギリス の ほか に イタリア と フランス と スウェーデン の 国名 がでて くる
  • その 作品 には、 川 に 溺れる 人 を 助ける 救助 係 が 出 て くる
  • その 作品 には、 腕木 で つらね られ た 電信柱 が 出 て くる
  • その 作品 には、 水馬 演習 が 出 て くる

 これら に 類似 し た エピソード が 出 て くる 作品 は「 銀河 鉄道 の 夜」 です。

  逆 に 考え て み ましょ う。 大正 11 年 8月 から 大正 11 年 11月 までに「 銀河 鉄道 の 夜」 が 成立 し て い なかっ た と し たら、 賢治 にとって、 北上川 の 河岸 を イギリス 海岸と 命名 する 動機 は なん だっ た の でしょ う か。 現在 では、 プリオシン 海岸 とは 北上川 の イギリス 海岸 の こと で ある と 解釈 さ れ て い ます。 しかし、 銀河 鉄道 の 飛跡 を たどる と、 北上川 上空 など 飛ん では い ませ ん。 飛ん だ のは イギリス 上空 です。 つまり、 プリオシン 海岸 が 出 て くる 物語 が 先行 し て 存在 し た から こそ、 プリオシン 海岸 と いえ ば イギリス が 連想 さ れる 必要 が あっ た と 考え ます。

 大正 11 年 8月 5 日 に 宿直 室 で 半分 書い た とさ れる 作品 こそ が「 銀河 鉄道 の 夜」 第 0 次 稿 と 考え ます。 したがって、「 銀河 鉄道 の 夜」 第 0 次 稿 の 成立 時期 を 大正 11 年 8月 5 日 以降 と 考え ます。 そして、 おそらくは、 大正 11 年 8月 9 日 が 脱稿 の 日付 では ない かと 考え ます。

 注 プリオシン   鮮新世( せんし ん せい、 Pliocene) は 地質時代 の 一つ で あり、 約 500 万年 前 から 約 258 万年 前 までの 期間。 新生代 の 第 五 の 時代。 新第三紀 の 第二 の 世 で あり、 最後 の 世。( Wikipedia


・・・つづく