螺蛤とは

ところで、賢治は螺蛤という着想をどこから得たのでしょう。

大正11年の1学期、ある生徒が、獅子鼻のフクロウと、子フクロウをタニシを餌として飼っている人の話を賢治に話し、夏休みに突然訪ねてきた賢治の依頼でフクロウのいる獅子鼻に案内したというエピソードが紹介されています。

  夏休みが終わって、二学期がはじまり、学校の廊下であった先生が、
  「あの晩はありがとう。その後、夜中に獅子鼻の林に行き、フクロ
  ウを見たし、また二十六夜の月を拝んだ」と話された。
  (照井謹二郎「宮澤賢治先生にちなんで」)

タニシは漢字で田螺と書きます。螺(タニシ)とフクロウと二十六夜が繋がりました。しかし蛤が課題として残りますです。蛤とは・・・、う~ん。


ある日、なんとはなしに古書店で「三千院の名宝展」という展覧会のカタログを手に取り、三千院阿弥陀三尊の写真を眺めていました。阿弥陀三尊。国宝です。両脇持の正座した姿が日本的な特徴なのだそうです。

ふと、勢至菩薩の合掌する手が二枚貝に見えました。そういえば、観音菩薩が持っている蓮台は半円形で巻貝を逆さにしたように見えなくもありません。

カタログの別ページに「阿弥陀二十五菩薩来迎図」と「阿弥陀聖衆来迎図」の仏画が見開きで載っており、どちらの画でも、勢至菩薩は合掌し観音菩薩は蓮台を差し出ていました。蓮の花は、泥濘の中に咲くがゆえに仏性を持つとされます。さらに、勢至菩薩図像学上のシンボルは額の水差しなのだそうです。

清浄な谷川の水(水差しの水)と蛤(合掌)と螺(蓮台)と軟泥(泥濘)と来迎(二十六夜)がひとつに繋がりました。



詩「オホーツク挽歌」の“(十一時十五分”からはじまる12行からは、「銀河鉄道の夜」とし原案説に加えて、さらに重要なメタファが導出できます。それは、「銀河鉄道の夜」の北十字と南十字はそれぞれα星からε星の五星で構成されるという事実です。逆に言えば、賢治用語の“五”には“北十字”あるいは“南十字”のメタファがあるということです。

また、すこしひねって「やまなし」のオリジナル・タイトルと章題と思われる{りんご、五月、十月}の最初の五月は北十字で、つぎの十月は南十字の意味であるという解釈も導出できます。しかしまた、“五”のメタファは、じつは、合掌という祈りの姿をとおして、もう一段の深堀りが可能です。

「二十六夜」と「やまなし」、この二つの作品は、それぞれ、指を組み合わせた合掌の姿と、指を伸ばした合掌の姿をしています。合掌の手を解いて見つめてみてください。やがて、右手と左手に“5”が見えてくるはずです。右手の指でできた“5”と左手の指でできた“5”と足し合わせた“十”。北十字と南十字とかささぎが横切る天の川の完成です。

詩集「春と修羅」の詩章「無声慟哭」と詩章「オホーツク挽歌」がそれぞれ五詩(内、挽歌性三詩)から構成されるというのは吉見正信氏(「宮沢賢治の道程」八重岳書房 82年)で指摘するところです。五詩とは、それぞれ“北十字”と“南十字”を意味しており、同時にふたつの詩章が隣接しているところから、それは“合掌する祈りの姿”を意味していると解釈できます。

・・・つづく