アニメ 輪るピングドラム 第20話

白と黒

追うと逃げるのは影。ペンギン、シャチ、パンダ、白黒の動物。KIGAの会のマークも白と黒。2つのピースに分割するという意志がマークの意味。

16年前のテロで、KIGAの会は一定の成果をあげていたらしい。眞悧の脇侍はシラセとソウヤ。人間とうより1号2号の雰囲気。眞悧にも、人間の男女の脇侍の存在があったはず。それが、今では、黒ウサギとその化身らしいシラセとソウヤ。16年前の成果とは、眞悧と眞悧の脇侍がターゲットになり、テロの結果として、眞悧と脇侍たちの分身たる黒ウサギだけが残った、ということなのではないか。



子供ブロイラー

 高倉「透明になる。彼らは何者にもなれない」
 晶馬「死ぬってこと?」
 高倉「…」

晶馬の問いかけに。無言の肯定を返す高倉父。ピンドラの作品世界には子供ブロイラーが実在していた。そこでは、たくさんの子供が透明な存在にされている。そして、高倉両親の目的は、子供ブロイラーが実在する世界を正すこと。

ガラス様のかけらは透明な存在になった子供たちの溶け残った心。金子みすずは、“凍った心が溶けるとみんな涙になる(「林檎畑」)”といった。クリスタルの破片は砕かれた心。砕かれるのは涙が凍った心。すなわち、降り落ちているのは涙のかけら。晶馬が追いかけるゴミ収集車。まわりに降り落ちる雪は、降り落ちるクリスタルの破片の伏線。プリンス・オブ・クリスタル。涙が凍った“氷姫”と解釈すべきか。

なぜ、“子供ブロイラー”なるものが存在するのか、なぜ、“子供”でなければならないのか。

高倉両親が指名手配されたとき、陽毬は寿命を意味する苹果を取り出していました。KIGAの会のアジトには、真沙子が使った“忘れ玉”が大量にありました。そして、マリオの命の苹果から忘れ玉を作っていたのが眞悧です。

大人や老人に較べて子供は寿命が長い=命の苹果をたくさん持っている。命の苹果を大量生産する工場が子供ブロイラー。捨てた子供の親は、命の苹果の加工品の一種である忘れ玉を使われて捨てた子供がいた事実を忘れさせられてしまう。おそらく、忘れ玉の使用は、その親の子供が透明な存在にされた後に行われる。そうでないと、桃果が多蕗を救った後の育成環境も消え去っていて、多蕗は途方に暮れていたはず。


陽毬の初恋

アンデルセン「すずの兵隊」の話は陽毬の置かれた状況をたとえるには、むしろ甘やか。

おなじように心臓だけが溶け残る、ワイルド「幸福の王子」の方がふさわしい。幸福の王子の心臓はツバメが死んだことを知ったとき割れてしまい、その後、王子の体は溶かされてしまう。そして、神が天使にこの世で最も美しいものをふたつもってこいと命ずる。天使は、ツバメの死骸と溶け残った心臓を持ってくる。

それなりの救いもある。幸福の王子を陽毬に、ツバメをSUNちゃんに重ねることができる。にもかからわず、脚本は「すずの兵隊」を選ぶ。その選択の意味するところはなにか。

陽毬の独白。「溶け残ったすずの兵隊の心臓みたいに…。だから幸せ」。ニ色のマフラー。陽毬は晶馬に声をかけられて嬉しかった。つまり、あの瞬間が“恋する時間”だった、ということ。そして、おそらくは、年齢的に“陽毬の初恋”だったという意味。

リンゴ入りカレー。眞悧との会話で、恋の成就は果実に例えられていた。たしかにリンゴを“すりつぶし”ていたが、特段、“苹果をすりつぶす”という意味にとらわれずに、すなおに“恋の果実”と捉えてもいい。

19話の陽毬は、居場所がないと感じていた。けれども、20話で晶馬との出会いを思い出し、陽毬は晶馬に選ばれていた。陽毬は死ななくていい(“選ばれないことは死ぬことなの”の逆)わけだから、陽毬には、ずっと前から居場所があって、その居場所にいたことの確認ができた。

  陽毬「晶ちゃんに選ばれたかった(生きたかった)」

KIGAマークのあるリンゴは運命の果実。KIGAマークのないリンゴは“恋の果実”の暗喩かも。

余談になるが、岩井作品「love letter」では、天使たちが神に、ずごいものを見つけちゃったと告げ、図書カードを手渡す。図書カートの表にはツバメの名前が、裏には溶け残った恋心が書かれていた。



日の神

“ひまり”は“ひだまり”の“ひまり”。ひだまり=日の光があたる所=月。SUNちゃんは三毛猫だからメス。陽毬(月の女神)とペアになるのは、マリオではなく、桃果(日の女神)なのかもしれない。すなわち、次回ラストの引きは桃果復活!か。

 

つづく >輪るピングドラム 第21話