「やまなし」の大1小2

「やまなし」には小型の蟹が二匹と大型が一匹でてきます

来迎三尊を思い出してください。仏像や仏画では阿弥陀は大きく、脇時の観音・勢至は小さく作られ描かれています。大1小2、つまり、父蟹は阿弥陀に、子蟹たちは観音・勢至になぞらえられているのです。言ってみれば谷川三尊です。

谷川三尊は川に落下したやまなしを追いかけます。来迎三尊が死者の魂を迎えるという行為のアナロジーです。"月光のにじ"とは二十六夜の来迎の月(船)に生ずるという紫雲のイメージですし、木の枝はそのまま来迎船である細長い月のイメージです。

 やまなしはよこになって木の枝に引っかかって止まり、
 その上には、月光のにじがもかもか集まりました。


さて、谷川三尊たちは来迎を終えて自分たちの穴に帰っていきます。が、その前に、谷川三尊たちの明日の予定が語られていました。明日はイサドに行くのだそうです。つまり、谷川三尊たちは、来迎した魂を極楽浄土に連れて行かなければならないのです。

そのうえ、どうやら、二十六夜の夜のうちの仕事は魂を来迎するだけで、来迎した魂を極楽浄土に連れてゆく仕事は夜が明けてからのようです。そして、谷川三尊たちは谷川と極楽浄土間を日帰りで往復しているようなのです。いそがしいったらないですね。

普段、来迎三尊たちは極楽浄土に住み安逸を極めていて、二十六夜にだけ人間界に来迎にくると考えそうなものですが、じつは、彼らは、いつもは蟹の姿で谷川に住んでいたんだよと、ここいらは賢治のユーモアがすこしばかり入っているのかなと感じられるところです。

賢治の時代は一般常識・教養として現代以上に仏教知識を身に付けている人が多く、かといって厳密な信仰なのかというとその深さには人により濃淡があったようです。

伝記によると、親からおじいさんに仏典を読むように説得してほしいと依頼されたとしの手紙(返信)に"信はないが・・・"というくだりがあります。というとしも、私的に賢治たちと仏典の購読会などを開いて参加していますし。さらに、としが東京の大学から帰省したときには兄弟で賛美歌を合唱することもあったそうです。

なんだか、信仰という点では現代の方がよぽど不自由です。現代の信仰は信仰というより金儲けとか洗脳とか言った方がぴったりです。

賢治の時代には、仏教思想そのものが共通の知識基盤であり、仏教思想をモチーフにすることは現代よりも抵抗が少なかったはずです。来迎思想にしても、行き先は極楽浄土であるのですが、じつは宗派が違うとなんとか浄土かんとか浄土と微妙に違っているらしいのです。

畑山博氏の「法華経」の解説によると、浄土に行くと、大きな円形ホールのような所の真中で釈迦が説教をしているんだそうです。死者はそこで未来永劫延々と釈迦の説教を聴く。席は指定席になっていて、釈迦に近いところも遠いところもある。遠いところは釈迦の声があんまりよく聞こえないんだとか。その指定席の番号が"戒名"なんだそうです。なんだか、極楽という所の日常は「二十六夜」の購読会みたいな退屈そうな毎日です。とうぜん、賢治は購読会の実態を知っていたわけですし、作品「二十六夜」には賢治による購読会へのひそやかな揶揄もはいっているように感じます。

さて、「やまなし」と「二十六夜」は、同じ二枚貝のそれぞれの殻のようにぴたりとかさなりました。その上で、「銀河鉄道の夜」とも関連を持ちます。ちょうど、「やまなし」と「二十六夜」が子蟹たちで、「銀河鉄道の夜」が父蟹のイメージです。

・・・つづく