雑誌Newton 2008年12月

巻末の星空の不思議Q&Aというコーナーに、二十六夜がらみで「三体月」という伝承が紹介されています。月の模様が三体の祭神に見えるとか、一種の蜃気楼現象だとか。

 ただ、なにしろ富山の蜃気楼よりもめずらしい現象なので目撃者も少なく、
 科学的分析に耐えうるデータがないのは残念である。

と結ばれていますが、賢治フリークによる、クラムボンがあれだこれだとかいうような、いつかどこかの百家争鳴状態をほうふつとさせられます。さきざき作品「二十六夜」とからめて、なにかしらの論材として引用される可能性もあります。一応、抑えておいたほうがよろしいかと思いましたので、紹介させていただきます。

さて、この号の特集は「虚数」ですが、なかなか簡潔にわかりやすく説明されています。かつて高校の授業で、虚数というか、複素数をベクトルとからめて習わされたため、理解するのにかなり苦しんだ覚えがあります。あのころ、この特集のようにやさしく教えてもらえていれば、・・・やっぱり苦労したでしょうね。

ところで、「虚数」+「賢治」ということで、ふと思い出したのが、小野不由美丕緒の鳥」(2008年)です。2001年以来中断していた、虚数世界を舞台にしたファンタジー十二国記シリーズのファン待望の最新の短編小説です。

この短編「丕緒の鳥」の中に、なぜか「やまなし」と「かささぎ」が出てきます。これまで、十二国記を含め、小野不由美氏の小説に宮澤賢治を感じたことはいっさいありませんでした。それが、とつぜんの「やまなし」と「かささぎ」です。

賢治の作品「やまなし」の章題の誤謬説をおぼえていますでしょうか。一ヶ所ならば偶然、しかし、二ヶ所ならば故意です。おそらく日常的には使用するはずもない賢治用語の「やまなし」と「かささぎ」がひとつの短編の中に同時にでてくる。なにか、意図が隠されているのではないでしょうか。

 「・・・・・・胸が痛むほど美しかった」

これは、この短編の中にでてくるセリフですが、同時に短編「丕緒の鳥」そのものの読後感でもあります。そして、宮澤賢治による「銀河鉄道の夜」の銀河の描写への感想でもあったように感じます。