石森延男 「麦三合」の思い出 1958年7月

初出 「宮沢賢治全集」月報第一号、昭和33年7月 筑摩書房
所収 宮沢賢治研究資料集成 第十二巻

誤謬と主張して字句を直すのとちょうど反対の行いをしてしまった方がいます。「雨ニモマケズ」の“一日ニ玄米四合ト”を“一日ニ玄米三合ト”に修正し中学教科書に載せたという有名な問題です。

戦後、石森氏が、最後の国定教科書を編集するに当たり、「どんぐりと山猫」を小学生向けに、「雨ニモマケズ」を中学生向けに、「農民芸術論」を高校生向けに採用しようとしたところ、CIE(GHQの教育関連担当部門)の係官に、いったんは難解であることを理由に却下されました。そこで氏が再考を説き却下を撤回させます。

撤回させたものの、その係官が、情勢に合わないから玄米一合を減らせと言い出しました。石森氏は抵抗したものの結局は折れ、花巻まで出向いて清六氏の快諾をもらい教科書に載せます。

 一字のために全文を削除されるよりは、少しの改めをしても、その精神を、
 子どもたちに味わってほしくて、中学一年の教科書に掲げた。それを見つ
 けた多くの詩人たちから、また評論家たちから、わたしには詩感がないと
 いってさんざん叩かれた。いやしめられた。けれども、今でも、わたしは、
 「雨にも負けず」を掲げてよかったと信じている。

ここで、石森氏を叩いたという詩人たちや評論家たちというのは、誤謬と主張して字句を直した上で作品解釈をするような詩人たちや評論家たちのような方々のように思います。