Cor Christ という知識

ところで、いったいぜんたい賢治はどこから南十字と"Cor Christ"の知識を得たのでしょうか。

賢治自身も聖書を読んでいたという清六氏の証言があります。また、真っ先に思いつくのは、キリスト教信者であり賢治の友人でもあった斉藤宗次郎氏の存在です。しかし、南十字と"Cor Christ"の関連を、賢治が独自に知りえた、あるいは、斉藤氏が賢治に教えたと仮定するとおかしなことがあります。

これまで、「銀河鉄道の夜」は“膨大な”といっていいほど大勢の人に読まれています。当然、その中にはキリスト教徒も大勢いたはずです。南十字と"Cor Christ"の関連がキリスト教徒としての一般的な知識であるのなら、当然のことながら、すでにジョバンニの切符の正体に気がつかれた方がいたはずです。ところが、「ジョバンニの切符=キリストの心臓」説というのは、これまで読んだことがありません。

そもそも、"Cor Christ"がラテン語だとして、日本人のキリスト教信者にとってラテン語の読解能力が必要な基礎教養であるという話は聞いたことがありません。ほとんどの信者は日本語で聖書や副読本を読んだり読み聞かされていたりしているはずです。そもそも、信者が原書をあたるなどということが許されるはずもありません。それぞれの宗派に都合のいいように訳された出版物を読まされているはずです。

いくつか図書館めぐりをしてラ日辞典を探してみましたが、結局、見つけることができませんでした。この見つけられなかったという事実は、日本ではラテン語辞書の需要がほとんどないことを意味しているということだと思います。つまり、現代でも日本国内には対訳すべきラテン語の文章が、ほぼ皆無といっていい状況なのだと思います。そして、この状況が大正時代には違っていたとすべき理由はなははだ考えにくいのです。

では、独学と斉藤氏の存在の他に誰かいるのでしょうか。じつは、トシがその人である可能性があります。トシは、大正9年の9月24日、母校花巻高女の英語教師になっています。

  お母さんの話(昭和三十九年八月八日)
  大正十年の四月ごろでしたか、としさんはからだの具合が、
  どうも思わしくなくなってきました。そんなようすなのに、
  自分で英語の実力に不安を感じて、盛岡へ行って教会の
  外人宣教師さんについて、勉強したりしていました
  (畑山博『教師 宮沢賢治の仕事』)

英語を話す外人宣教師の存在とトシとの関わりのエピソードです。英語がネイティブの外人宣教師であれば、ラテン語の教養は、ちょうど日本人にとっての日本語の古語の教養に相当します。つまり、トシが外人宣教師から聞いた南十字の"Cor Christ"の知識を、賢治が「銀河鉄道の夜」という作品にまとめた、と考えるほうがずっと蓋然性が高いように思えるのです。

・・・つづく