「やまなし」、イサドとは

###「やまなし」、イサドとは

 「やまなし」ではクラムボンともうひとつイサドという言葉が謎とされています。

  父蟹「もうねろねろ。おそいぞ。あしたイサドへ連れていかんぞ。」

 はじめ、わたしは、この個所はふつうに方言として読んでました。「あした、“いいところ”へ連れていかないぞ」、と。「イサド」を直観的に「イドサ」と誤読していたようです。これは、ひょっとすると、方言によるアナグラムなのかもしれません。「イドサ」という表音は、南部弁ではつぎのような意味になります。

  「イ」(よい、いい)
  「ド」(所、場所)
  「サ」(へ)

 「イサド」が「イドサ(いい所)」のアナグラムならば、この台詞は1枚目の父蟹の台詞に出てくる“こわい所”と対照をなすことになります。

 あるいは、イーハトーブのように実在の地名のアナグラムであってもかまいません。肝心なのは、イサドがどういう意味でつかわれているかという点と、イサドという単語からその意味が導き出せるかという点です。文脈上の意味としては、

  「連れて行ってもらうのが楽しみな場所」

 の意味で使われているのはほぼ確実のようですし、そう読めます。そして、イサドがイドサのアナグラムであるとするならば、方言そのままの意味で「いい所」が導出できます。

 イサドが実在の地名かどうかについては、伊藤光弥氏による明治・大正時代の古い地図をもとにした綿密な調査があります。(「森からの手紙 宮沢賢治 地図の旅」)伊藤光弥氏は、種山ヶ原周辺の古い地図からはイサドは見つからない。ただし、「伊出」という地名があることから、「伊里(イのサト)」が訛って「イサド」になったのではないか、という可能性を提示されておられます。

 ただし、こうも考えられます。伊藤光弥氏の綿密な調査にもかかわらず、イサドを実在の地名として見つけられなかったという事実。この事実は別の可能性を示唆しているのではないでしょうか。それは“イサドは実在の地名ではない”という可能性です。

 また、イサドがアナグラムであるとするならば、イサドにはもうひとつ面白い側面があります。それは、イ・サ・ドの各音が五十音順に並んでいる点です。すなわち、イサドはアナグラムのキーではないか、という可能性です。コンピュータ・プログラムでアナグラムを取り扱うとき、アナグラムの各文字・各音をアルファベット順、あるいは五十音順に並べ連想配列のキーとします。そして、キーで検索される配列要素として、各アナグラムの候補(組み合わせ)をリスト構造に繋げます。イサドの三文字から可能な組み合わせはつぎの六通りになり、“連想配列キー”→{リスト構造}で示すと、次のようになります。この中に、イドサ以外のアナグラムを見出すことができるでしょうか。

  “イサド”→{イサド、イドサ、サイド、サドイ、ドイサ、ドサイ}

###「やまなし」、もうひとつのイサド

 河底を映した幻燈の1枚目の「こわい所」と2枚目「イサド(文脈上のいい所)」という言葉には対称関係を見いだせそうです。そして、文脈上の意味の推定から、さらなるメタファを検討してみます、

 1枚目で、かわせみとおぼしき鳥に捕食された魚が「いい所」へいけず、「こわい所」にいくのが「二十六夜」でいう“業”ゆえであるとするならば、その業とは「何か悪いことをしているんだよ。取っているんだよ」がその理由です。

 捕食された魚が行っていた行為は、ふくろうたちの、捕食という悪行ゆえに再びふくろうに転生し、また捕食を繰り返すという「業」を重ねる行為と同じ行為です。そして「こわい所」とは転生する場所を意味し、そこに転生すると魚にとって再び「業」を重ねざるをえない場所を意味します。すなわち「この世」のことです。となれば、「いい所」とは、「この世ではない所」を意味し、そこは「業」から開放される所でもあります。来迎というモチーフを顧慮に入れると、来迎により解脱した魂が向かう先は極楽浄土と決まっています。極楽浄土は、またの名を西方浄土。ちぢめると西土(サイド)です。広辞苑にも載っています。

 では、「イサド」とは、「イドサ」のアナグラムなのでしょうか、それとも「サイド」のアナグラムなのでしょうか。どちらなのでしょう。両方ではないかと考えています。二枚の幻燈。クラム(二枚貝)。二つの造語(クラムボンとイサド)、蟹のハサミも二本。「やまなし」には“二”のメタファが充溢しています。クラムボンという造語自体にも二枚貝という“二”のメタファがあります。イサドという言葉にも“二”のメタファがあってもおかしくはありません。イサドはサイドとイドサという二つの言葉のアナグラムであると解釈可能です。

 さて、イサドが西方浄土を意味すると解するなら、蟹たちはどうやって西方浄土と谷川とを往復しているのでしょうか。じつは、賢治はその移動手段も書き残しています。

  「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」
  …(略)…
  ただ一さんに野原をさしてかけおりる
      本社の西行各列車は
      運行敢えて軌によらざれば
  …(略)…
  なほ一さんに野原をさしてかけおりる
  わが親愛なる布佐機関手が運転する
  岩手軽便鉄道
  最後の下り列車である
  (ちくま文庫宮澤賢治全集」1)

 軌とはレールのことです。レールによるからこそ鉄道です。したがって、この詩における列車の描写は字面通りの“列車”の描写ではありません。賢治独特のレトリックを駆使した“風”の描写です。列車とは風のことなのだと気づけば、“西行各列車”というのは西方浄土という観念上の地理的な中枢へと向かう“上り列車”のことであり、東から西へと吹く“東風”のことになります。となれば、“下り列車”というのは自ずと西から東へ吹く“西風”のことと解けます。

 上りの西方浄土行きに乗車する可能性や資格がある賢治作品の登場人物・登場動物は多々おりますが、西方浄土発の下りに乗らなければという動機や必然性がある登場人物・動物は、唯一、蟹たちだけです。すなわち、蟹たちは二十六夜が明けるや、東風を乗り継ぎ西方浄土へと飛び、“風”というスピード感と“最終の”という切迫感からすると、おそらく日帰りで西風を乗り継ぎ谷川に帰ってきていたのです。

 さてさて、蟹たちを乗せて帰ってくる、その日最後の西風の、賢治が親愛の情を寄せる機関手とはいったい誰なのでしょう。むずかしくはありません。布(fu)→風、佐(za)→三、おなじみ“風の又三郎”その人でした。そうすると、(ジャズ)とは、“どっどどどどうど…”の響きのことになるのでしょうね。

・・・つづく