病院のチカラ~星空ホスピタル~ 最終回 「明日の私」

「地域医療」というのは“単なる”モチーフだったようです。本気で取り組むつもりは最初からなかったようです。わたしの深読みのしすぎでした。それと、百合ちゃんの件ですが、金が掛かる説明としてはいいのかもしれませんが、逢えない理由の説明としては不十分です。まあ、難点、疑問点はそれくらい。初回に期待したとおり、いい作品になっていたと思います。今年は時代劇「慶次郎日記」もかなり深くてよい作品だったけれど、現代劇でこれほどの深さと有意な普遍性をもった作品は「深く潜れ」以来だと思います。


さて、栗原には三人の患者がいる。百合、陽子、そして栗原自身もそう。

陽子は、やりたいことが見つからない。院長「若いんだからいくらでも見つかるさ」が重い。栗原は、百合がアメリカに行く目処がついてしまった。つまり、栗原が海岸病院でがんばっていた理由がなくなってしまった)

  栗原「患者さんを救えないことに傷ついてばかりいた。
     そんな弱いお医者さんなの」
     本当の医者になる=患者を救ったことをよろこぶ医者になる
  陽子「やりたいことを見つかった。この町に帰ってきたい。看護士になりたい」

手術後、陽子が言ったせりふは、百合が「先生の所へいく。元気になったらかならず行く」いったセリフとまったく意味が同じです。栗原のいる町に来たい。栗原もずっとこの町にいてほしい。

主題歌の“みんなが集まる暖炉のような(人)”もまったく同じ意味ですね。この主題歌はこのドラマのための書き下ろしなのではないでしょうか。歌詞のなにもかもがドラマに一致しているように感じます。偶然だといわれても、わたしは信じません。


院長が自身の病状を公表しない理由。院長が、もっとも動揺させたくない相手というのは栗原だと思います。いまだ、栗原の病院を継ぐという意思を確認していないからです。院長と栗原の執刀医に関する対立は、院長が栗原の覚悟を確かめるためでしょう。栗原は、いったん患者と約束したからだと逃げる。しかし院長は逃がさない。丁々発止。津川さんの見せ所、緊迫したいいシーンでした。

  院長「この病院は決してつぶれない
     あなたに託していいんですね」
  栗原「はい」
  院長「あなたに執刀をお願いします」

かぶさる主題歌の歌詞に聞き覚えがありません。2番の歌詞でしょうか。1番がなくて2番から始まるのは、栗原が医師として人間としての階梯が次に進んだ、という演出なのかもしれません。


生きる者は何かしらを背負う。栗原は院長が背負っていたものを背負う。背負っていたものを降ろし栗原に託した院長は、百合がアメリカに行く目処が付いた栗原や陽子と同じで「やることがなくなった」状態。そこに大量の食中毒患者。処置を終え、院長「まだまだかんばるぞ」と、医師としてのやるべき仕事を再発見。

百合「これから先生の町に行くね」と、病気から開放された百合の願いは栗原のもとへ。全員、みんなそれぞれやりたいこと見つけて終わる。「やりたいことを見つける」が最終回のキーワード。いい終わり方でした。


演出も面白いと思ったシーンがあました。栗原と角倉の飲み屋でのシーン。院長を気遣う理由を明かせと迫る角倉。かわす栗原。座る位置を変える角倉。上手(かみて:右側)と下手(左側)というのがあります。強弱でいうと上手の方が強い。演出の基本です。角倉が座る位置を変えたのは、迫る角倉から懇願する角倉への変化を表します。座る位置にドラマがあるというのが面白い。


さて、「鳥」、「星座早見」、栗原の「本当の医者になる」の「本当の」は、いずれも「銀河鉄道の夜」に出てくるキーワードです。そして、院長の最後のシーン。壁の時計は十時十分でした。午前三時の鐘。午前三時というのは「銀河鉄道」が南十字の駅に到着する時刻です。