病院のチカラ~星空のホスピタル~第4回「家族の肖像」

夫を亡くした妻、夫を亡くし子供もいない妻、妹を亡くした姉。

なんかこう、時代劇のような設定です。ちょうど、平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」がその典型です。「御宿かわせみ」では主要な登場人物のみんなが、親兄弟子供のだれかしらと死別しているか生別している。時代劇のケレンの中でやるのならまだしも、現代劇でこれをやられるといささかズレて感じます。

このドラマの問題意識は「地域格差」に向けられているのだと思ってました。つまり、近親者との死別の構図ではなく、地方の老人と都会の若者という生別の構図で語られるべきではないのかなと思います。現代的な事情で家族が逢いたいけれど逢えないという状況こそをモチーフにすべきではなかったかと感じます。


さて、「肖像」とは写真、絵画、像などの静物に写した特定の人の姿ことをいいます。

杏子にあるのは、夫が手遅れになって死なせたのは自分が気づかなかったからだという自責。岸本にあるのは、夫が自殺したのではないか。自殺の原因は、自分が喫茶店を開きたいといって、結果的に夫に借金を背負わせることになったからではないかと自責。栗原にあるのは、妹が自分の目の届かないところで死んだのが、ちょうど、受験勉強中で妹をかまってやれていなかったからだという自責。

岸本については海岸の船のメタファが利いています。自分は夫に置いていかれたのだ。置いてゆかれたのなら追いかければいい。おそらく、そのような心情表現かと思います。

三人をそれぞれの自責から解放するのは、杏子については、入院中、杏子から離れて子供が健康でいたこと、岸本については、夫の健康診断書、栗原については喫茶店の添え書きノートの妹の文。

自責から開放された対象のそれぞれは、自責の念を抱かずに直視できる肖像となった、というあたりが今回の帰結なのでしょうか。ドラマが語りたいのは、栗原が妹の死から開放されたということなんでしょうか。そこいらへんは解釈が難しいところです。最終回まで見たらわかるのでしょうか。

なんか、もやもやっとした気持ちが残った第4回でした。