病院のチカラ~星空ホスピタル~ 第2話

栗原が携帯で話しかける相手は、妹じゃなくて別人でした。


それなら、携帯=カササギの橋というのは読みすぎか。しかし、ゆりちゃん、と空を見上げながら携帯に呼びかける。ゆりは東京にいる。すぐそばまでは行ける。が、逢うことはできない。これは、やはり、七夕のメタファだと思う。


居場所がない(だれにも必要とされていない)ことは、何かしらも背負うものがないのだ、という

山田:何かを背負ったことがある人、若くして夫を亡くした。亡夫とはいい思い出だけ。娘、苦労してかけて育てた娘、娘には子供ができない、子供はいらないと言う娘に反発。母に会いにくる娘、母は娘に会わない。


塩川:病気で何も背負うことができなくなった人。妻には苦労をかけたうえ亡くした。しかし妻は塩川を恨みに思ってはいなかったと娘はいう。それがいちばん悔しかったのだともいう。父にほうっておかれた子供、たくさんの子供たちがいる職場で働いている。母に苦労をかけた父には会いたくないという。


栗原:何かを背負っている人。山田曰く、栗原は何かを背負っている。だから、患者(塩川)を救いたい。


塩川「目的のない時間に意味はない」
    ・・・
栗原「ただ生きているだけで人生の目的は達成されている」


ただ生きているだけでも価値がある、と主張する栗原。ということは、栗原には“ただ生きているだけの人”という存在がいるのだろうか。たとえば、その存在が、ゆりちゃんなんだろうか。

塩川が治療のため東京の病院に転院する。去り際、栗原は、塩川に肯定してもらえる。“人生は生きているだけで十分価値がある”のだと。栗原にとっては、そのことを塩川に認めてもらえたことが、このうえもないくらいにうれしいことだったように見える。

塩川の変心は、生きているだけで価値があると言ってくれる存在、生きていてほしいと言うがいたということ。

父に会いにくる娘。娘を会いにこさせたのは、娘が思い出した「親子三人で見たこの町の星空」という思い出。娘の背中を押したのは、忘れていたたったひとつの思い出だった。じつは、娘は父に会いにくる理由をさがしていた。すなわち、父に会いたくないという娘の情は“父に会いたい”だった。

塩川と娘とのふたりだけの病室。塩川の心変わりは、娘から父に生きていてほしい、というようなことをいわれたからかもしれない。

頭とこころは別なのは当たり前で人間のやることには訳があると山田がいう。つまり親の情、子供の情があるのは当たり前だという意味。

親に会いたい娘、娘に会いたい親。親と娘の情が今回の主要なモチーフ。ゆりちゃんというのは栗原の娘だろうか。栗原の年格好からすると、留守電の声はそこまで幼いように聞こえない。それならば、娘に準ずる存在、たとえば義理の娘のような存在か。


院長「人はだれも死ぬんです。
   だからできる限り生きてもらいたい
   とおもうんですがねぇ」
栗原「負けません。絶対に、負けません」


そして、栗原は、その存在に“できる限り生きていてほしい”と願っている、栗原が負けたら(くじけたら)その存在は死んでしまう、ということなのかもしれない。