“文学少女”と慟哭の巡礼者

このラノベがすごい」という本をパラ見していたところ、宮沢賢治という単語が目に止まりました。なんでも、「銀河鉄道の夜」をモチーフとした、野村美月“文学少女”と慟哭の巡礼者」(ファミ通文庫)という作品だとか。

どんなのかなと探したら、“文学少女”シリーズの五作目だそうです。シリーズ物は、最初から読まないと細かいところが分からないですよね。シリーズ一話目から読み始め五日かかって、ようやく今日「“文学少女”と慟哭の巡礼者」を読み終えました。

シリーズは、いわゆる名作文学のモチーフが基盤層で、主人公の一人称の語りの層と、正体不明の人物の一人称の語りの層の三層構造となったとしたサスペンス仕立ての青春モノです。登場人物は男女の高校生。誰もが心に深い闇や傷や汚れを持ち、痛い辛い苦しい寂しいといった心情が、一人称で繰り返し徐々に深く語られてゆきます。そして誰もが、いわばお互いの血と汚物まみれで正体を晒しあい、全員が破滅するしかないと思えるようなクライマックスで、シャーロック・ホームズのような“文学少女”が、横から颯爽と登場してその特権たる“想像”で名作を引用し状況に重ねることで解きほぐし救いへと導いてゆく、というのが毎回のパターンです。

さて、五作目「慟哭の巡礼者」は作品論や賢治論は通説をもとにしていました。当然でしょ、と突っ込まれるかもしれませんが、宮崎作品の例やローゼンメイデンの特定の回の例もありますし・・・、まあ、ちょっとは期待してなかったことはないのですが、やはりというか残念ながら通説ベースでした。ただ、一人称でくりかえし重ねて内面を語る三層構造の物語には、深く深く引きこまれました。その点では評判通りだと思います。

「カムパネルラの願いとは何?」というが「慟哭の巡礼者」のメインモチーフです。登場人物が、今が幸せでない事情が何で、どうあれば幸せなのか。「個々が幸せならみんな幸せ」という「世界が全体・・・」とは正反対の帰納論的決着なのですが、一作目から重ねに重ねた作者の語り口の見事さに押し切られ、疑念を抱く間もなく納得されられ同意させられてしまうことになります。で、そこで終わりかと思いきや、プロローグからの伏線を効かせた、驚きのもう一押しが待っているという趣向です。いや、参りましたとしか言いようがありません。

もう一つモチーフがあって、こちらは心葉と美羽の物語の凝縮です。わたし、この詩は不勉強で知りませんでした。

「敗れし少年の歌へる」(文語詩未定稿)後半

 夜はあやしき積雲の
 なかより生れてかの星ぞ
 さながらきみのことばもて
 われをこととひ燃えけるを

 よきロダイトのさまなして
 ひかりわなゝくかのそらに
 溶け行くとしてひるがへる
 きみが星こそかなしけれ

さて、シリーズは今16作目が刊行されたばかりで、すべて購入済みです。わたしは、まだ5作を読んだきり。お楽しみはこれからです。

あ、そういえば、嘘と闇と銀河鉄道の夜というキーワードで、NHKドラマ「深く潜れ」を思い出しました。同じようなテーマやモチーフです。当時、あのドラマにも思い切りハマっていました。