野ブタ。をプロデュース -第5話-

本当のことを知っている人がひとりいればいい。けれども、誰でもいいわけではありません。特定の人がひとりいればいいのです。知っていて欲しい(特定の)人さえ知っていてくれればいい、というのが真実なのです。

恋とは、恋する相手に逢いたい、逢って相手のことを知りたいという願いです。“知っていて欲しい人”というのは、自分が恋する人のこと。その人のひとりが知っていてくれればいい。

しかし、自分が恋する人が、自分のことを知りたいと願っているとは限らないのが恋の辛さ。まり子、今回もけなげです。そしてカワイソッ(彰風に)「今日は、たのしかった」って言ってもらえなかっね。この回、つらい思いをしていたのは信子だけじゃないんです。


修二は勝ちたい。だれに?答えは“とうちゃんに”ですね。そのココロはというと、のぶた~んって呼びたいんです。誰をって、もちろん信子を、です。修二も信子を知ってしまった。もっと知らない信子を知りたいと思ってしまった。フォール・イン・ラブです。秋に恋に落ちる・・・。ラブ・イン・フォールというのが正しいか


さて、今回のカギは彰です。彰の分析から始めましょう。

老人が吹いた泡がついた手、シッタカが「汚ったね」と拒絶した手、(一瞬で信子を絶望に染める堀北さんの演技は見事でした)その手を、ほおにあて、膝に降ろしてさすり、汚くない、やさしい手だ、と彰がいう。

人の業(わざ)ではないと思いました。神の業です。遠藤周作の、寄り添うだけの神、共に悲しむだけの神、その、神の業だと思いまました。口にするかしないかの人による差はあっても、シッタカの反応が人の業です。

ええ~、彰は神・・・なの? そんな設定があったっけ?、と、探してみました。

  神様は死んだとニーチェが言った。神様が死ぬか(神は生きている!)。
  世界よ平和になりんしゃい。(スケールでか!)
  ススキの羽、天使の羽(彰の羽だったのか!)

うわ~、彰は天使という設定みたいです。地べたに降臨した天使。その目的は豆乳のみながらの青春の思い出づくり。

とすると、彰のとうちゃんって“神”なのか? まあ、金儲けの“神業”でしこたま儲けているらしいし、つまるところ“神様”のような存在ではあるんだけど・・・。

ならば、彰の天使としての階級は? ゴールドカードを持った天使です。1億円もする本をあっさり買ってしまえるくらいですから、どちらにしろ下っ端天使じゃないですね。天使の階級は生まれで決まるらしいです。“神様”の子供だと、たぶん階級は、最上級のし熾天使(セラフ)かも。


天使がいるならば、いや、天使がいるから悪魔もいる。神に反旗を翻す前のサタンの名は熾天使ルシフェル。悪魔の姿が黒いのは悪意がその姿を黒く染め上げているからです。そして、悪魔が使役する鳥たちも黒い悪意に染まってしまう。

  「小谷さんが、たすけたのはわたしのおじいちゃんなの」

悪魔は嘘は言わないというのは大嘘です。大量のビラという嘘と大量の悪意。だから、このセリフも嘘です。

Wデートに彰(天使)が張り付いていたように、この悪意(悪魔)も一部始終、(CMタイアップのキヤノンのデジカメは、まり子の弁当もしっかり写せる高性能!)を見届けていたということです。

つまり、第5話タイトル「悪夢のデート」とは、天使と悪魔がデートしている構図のことだったのです。

犯人がようやく表舞台に姿を現しました。けれども、信子は思い出せないみたいです。