野ブタ。をプロデュース 1話~3話

ううむ、ううむ、凝ってますねぇ。

プロデューサー(企む者)とスポンサー(金を出す者)とクリエィター(創り出す者)の三者のドラマ。
プロヂューサーにはアドバイザー(助言者)付き。

“工事中”のメタファが演出されています。1話冒頭でいきなり工事が始まっていました。
工事中なのは信子、という印象を受けますが、たぶん、工事中なのは信子だけじゃなくて修二と、そして彰もなだと思います。教頭の「まっとうな人間にしてくれ」というセリフがありました。このドラマが終わるころ工事も終わり“まっとうな人間”になっていることでしょう。

修二が次々と繰り出す企画は派手で人々を惹きつけます。けれど、一過性です。教頭の“すぐ飽きる”というセリフが象徴していますし、修二自身も自覚していて3話最後で“俺は何も作れない”と言っています。外側を飾る企みは、一過性で一時的で、後に残るもの作り出せない。それが“作れない”という意味だと思います。

でも、修二は企画することで、彰は金と労力を提供することで、“成功することの快感”と“青春の思い出”を確実に得ています。快感は一時的なものですが、思い出は永続的なものです。

そして、修二の企みを実行し、その都度、人々の“感動”を創り上げているのが信子。でも同時に、一過性ではない大切な認識を、その手にひとつずつ掴んでいるのも信子です。ガッツポーズが出るたびに掴みとっているんです。3話では“感動の鏡”を壁に飾ったときガッツポーズが出たろうと思います。

 1話 引っこ抜かれず、住める世界
 2話 人は何を着てても笑って生きられる
 3話 人と人との出会いの奇跡

3話では、信子が話す父親像と父親の実像との相違も気になりました。信子が父親を信子の言うとおりに認識しているのも事実なのでしょう。そして、それが他人から見た実像と違うのも事実なのでしょう。信子には、信子のまわりのいろいろが、他人から見るのとはすこし違って見えている、という設定。伏線ですね。

“中身が大事”ってのがこの作品のテーマのようです。ネクタイの“内側”のアップリケ。カッコよく着られる“外側”にブスと書かれた制服。

“ハゲ親父”のトーフ屋さんも言ってます。目立たないカゲ(ハゲ)の主役です。“ハゲ”が強調されてますよね。海苔をのっけられたり、街灯(ふたつも)を頭上に照らされたり。坂東になじられたり。なぜでしょう・・・。“外面と内面”の意味のもじりです。“外ズラ”を飾る“ズラ”はいらない。中身が大事なんだそうです。ハゲの理屈かも。

修二は携帯を持ってないみたいです。持つと周りがうるさいからでしょうか。3話では“ゆうれいカメラ”が小技の効いた小道具でした。彰の携帯が三人を映したとき信子が幽霊のように写ったのは、バイト三人を入れた記念写真をとるときの伏線だっただろうし、同時にカメラは思い出を写す、思い出を残すという役割も担っていたように思えます。誰もやったことのない青春の思い出を残す、というのが信子を応援する修二と彰のモチベーションですからね。ただ、思い出としての“HIDEKICHI”はちとベタでした。

バイト三人が生霊というのもうまい落しどころだったと思います。他校の生徒じゃ、あれだけのモチベーションはありえないし、かといって死霊では遺恨(笑)を残す。なんだか訳わかんないうちに撤収、撤収とごまかされました。

最後のさいごで、教頭が学祭を800回も経験してきているってのも仕掛けです。八百比丘尼とは女狐のことです。すると、さしずめ校長は古狸。だましあっている仲ですね。仲が悪いはずです。