トウモコロシとオチャマタクシ

妻が見つけました。壺井栄「孤児ミギー」という作品内の一節です

  「あ、風がいるよ、たくさんの風がいるよ、おかあちゃん。」
   ミギーは畑のほうを見ながらいいます。
  「風がいる?どこに。」
   お母さんがわざとたずねると、
  「あすこにいるじゃねぇか。トウモコロシのとこにいっぱいいるよ。風は、長いね。」
   指さす畑には、トウモロコシの長く青い葉が風に吹かれて
  サヤサヤと音をたてているのでした。トウモロコシをトウモコロシといい、
  オタマジャクシをオチャマタクシというミギーが、「いるじゃねぇか。」と
  べらんめえことばでいうのです。(壺井栄児童文学全集4)


さらには、壺井栄原作、映画「母のない子と子のない母と」にて、主人公のおとら小母さんを演じていたのが北林谷栄さん。

トトロでの「かんたーっ」というセリフは今でも耳に残っています。メイのセリフと合わせ、もはや、「となりのトトロ」での北林谷栄さんのキャスティングは偶然ではありえないという感を強く持ちます。すなわち、「となりのトトロ」は壺井栄作品へのオマージュを内包した作品でもあった、ということです。もちろん、宮沢賢治「やまなし」をモチーフとしていたであろうことも疑いえません。

また、妻によると、壺井栄児童文学全集には、「ハイジを読みたい」という女の子が出てくる作品もあるのだとか。続きを読みたくて兄に書店に連れて行ってほしいとたのんだり、行けば行ったで書店のおじさんににらまれてしまったりするのだそうです。

アルプスの少女ハイジ」。宮崎駿監督がどこまで企画立ち上げに関わっていたのかは知るすべはないのですが、壺井栄作品との関わりがモチベーションになった可能性もなきにしもあらずです。ただ、わたしにとって、壺井栄作品は守備範囲ではありません。これから先もこれ以上掘り下げることはありません。どなたか、掘り下げてみられると面白いことが見つかるかもしれません。

余談ですが、その昔、「宇宙戦艦ヤマト」は「アルプスの少女ハイジ」の高視聴率のせいで、予定より早く地球に帰ってこざるをえなかった、とかなんとか。ほんと、余談ですが。

 

 

三と十の暗合 目次

 

NHK朝ドラ「ごちそうさま」最終週

NHK朝ドラ「ごちそうさま」最終週で高校野球GHQ民間情報教育局の横槍で中止になるというエピソードが紹介されました。民間情報教育局 CIE(Civil Information and Educational Section)は、宮沢賢治関連でも燦然たるエピソードを残しています。

石森延男『「麦三合」の思い出』(「宮沢賢治全集」月報第一号 昭和33年7月 筑摩書房)によれば、石森氏が編集・策定した中学生向けの最後の国定教科書の「雨ニモマケズ」の四合を三合に修正させたのがこのCIEです。その理由はいうと、当時の食糧事情と合わないから四合では贅沢ではないかという理由だったそうです。とはいっても実際には三合どころか一合の配給もなかった時代だそうです。

  それを見つけた多くの詩人たちから、また評論家たちから、
  わたしは、誌感がないといってさんざん叩かれた。卑しめられた。

氏は、修正にあたり、わざわざ花巻の宮沢清六氏の元に行き快諾を得ています。修正するか、それとも「雨ニモマケズ」全体を教科書から削るのか。修正の許諾を受けるために花巻まで出張するくらいですから、当然、石森氏の心中にも忸怩たるものがあったはずです。したがって、批判を受けることは十分に想定内だったはずですが。それでも、実際に非難さらされるとそれらは正論なだけに反論することができるはずもない。うつむくことしかできなかったはずです。

わたしは、この「雨ニモマケズ」の四合というのは、良寛の五合庵から来ているのではないかと考えています。良寛は、一日あたり五合の扶持米を拝領していたのですが、とても足らなかったそうです。現代と違い、良寛が生きていた当時は副食などはなく米がカロリー摂取のすべてだったそうです。一合500キロカロリーとすると、2,500キロカロリーになる計算ですが、移動はすべて徒歩ですし野良作業、薪割り、水汲みなどの力仕事もある日常では、2,500キロカロリーはなるほど少ないと思わざるを得ません。

その五合を、賢治は、さらに“ささやかに”四合と詠んだのだと思います。2,000キロカロリーです。現代ではカロリー制限のある糖尿病患者などが摂取して良いほぼ上限のカロリーです。それをCIEはさらに削って三合1,500キロカロリーとした。もはや現代のおいても基礎代謝以下です。で、実際には一合以下だったという時代。空腹の時代です。

おそらくは、詩の字句の改ざんであろうとなかろうと、食べ物がテーマであるかぎり、批判者たちも空腹を抱えながら白熱した時代だったのではないでしょうか。石森氏も、『「麦三合」の思い出』の最後をやはり食物のエピソードで締めています。

  清六さんと賢治の詩碑の前でうでた枝豆をたべた愉しさを
  忘れることはできないのである。

ごちそうさまでした。

毛利志生子 風の王国 暁の歌

宮崎駿風立ちぬ」にひき続き、宮沢賢治は関係ありません。

感想

書店で第27巻(あえて最終巻とは呼びたくない)の帯の完結の文字が眼に入ったとき、思わず涙ぐんでしまった。そして内容はというと、涙、涙、涙、涙だ。第27巻は透明な涙のインクで書かれている。読み始めて読み終えて本当に泣いてしまった。涙が止まらない。読み終えて、これほどまでに悲しい想いをする作品は初めてだ。シプリーが涙を流す。イェルカが涙を流す。翠蘭も涙を流す。ゲンパ、お前は泣くな。第26巻の終わりではウシャスが涙を流していた。思い起こすと、あたかも第27巻の伏線だったのように思える。(シプリーは少女医師、イェルカは翠蘭の娘、翠蘭は主人公。ウシャスはネパール王国の姫。ゲンパは軍師(男)だが歩きながら泣いているところをガットゥハチャ(翠蘭の護衛官)に泣くなと叱られる。)


うん、そうだ・・・わたしはリジムのことを考えるとき、
リジムにしてあげられなかったことを数えてしまう
(第28巻 暁の歌 p128)


風の王国」は、ここで終わりにしていい作品ではないのだ。

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キーワード:毛利志生子風の王国、暁の歌、7世紀、女王の時代

宮崎駿 「風立ちぬ」

宮崎駿らしさにあふれた作品。十一作目にして、きれいさっぱり微塵も宮沢賢治を感じさせない作品。もはや匂いさえない。風が吹くとき木々はざわめき枝を震わす。時代の風が吹くとき人の心もまた不安に震える。風や煙という、きわめて使い古され、かつ、オーソドックスな演出道具を使った作品。そのためか、作品のメッセージは明瞭にして明確。

  「生きねば。(風が吹くときも、そよぐときも)」

果たして、そうだろうか?


二郎と菜緒子

出会いは、列車の中。三等車のデッキに二郎。二等車のデッキに菜緒子。風に飛ばされた二郎の帽子を菜緒子が捕まえる。直後、関東大震災。大正十二年九月一日。二郎は、上野広小路の菜穂子の自宅まで菜穂子たちの被災を知らせに走る。後日、二郎が菜穂子の自宅を訪ねたときには、菜穂子の屋敷はすでに焼失していた。

二年後。二郎の計算尺が返却される。そのとき菜穂子は二郎に会わずに帰る。

軽井沢ホテル。丘の上のパラソル。その下に菜緒子。風に飛ばされたパラソルを二郎が捕まえる。丘の上の菜緒子を訪ねる二郎。泉のそばに立つ菜緒子。二郎が来てくれるよう泉に願を掛けていたと言う。激しい雨。雨漏りがするパラソルの下。ホテルに向かう二人。

菜緒子発熱。二郎が飛ばした紙飛行機が菜緒子がいるベランダに落ちる。後日、少し大きめの紙飛行機をゴムで菜緒子の下に飛ばそうとする。偶然か意識的なのかという違い。紙飛行機の構造と大きさの違いは二郎の中の菜緒子への想いの濃淡の違い。恋に時間は関係ないというが、それでも醸成されるには、いくばくかの時間は必要だろう、という主張。

婚約。黒川家離れに潜伏中の二郎に「ナオコカツケツ チチ」の電報。大急ぎで東京に向かう二郎。庭から菜緒子の部屋へ。あわただしくベッドの上で抱き合う二人。最終列車で名古屋に戻る二郎。菜緒子は高原病院へ。病気を直したいからだという。

高原病院の菜緒子の元に二郎からの手紙。菜緒子は身一つで名古屋に。二人は黒川家の離れに落ち着く。菜緒子の枕頭で持ち帰った仕事をする二郎、菜穂子とは手をつないでいる。タバコを吸いに行くために手を離しでいいかと菜穂子に尋る二郎。菜緒子は、否、ここで吸えと答える。おや、と思うシーン。ここに、これまですべての宮崎駿の劇場用アニメ作品に通低するテーマが隠されている。

名古屋にやってきたときと同様。身一つで高原病院に帰る菜緒子。思い出は“美しい姿のままで”


黒川と黒川夫人

空母デッキ上の黒川。目前でブローした飛行機のエンジンオイルをぬぐった顔がタヌキ。夫人はというと、つり目のキツネ顔、キツネの嫁入り、ちょうちんの家紋、タヌキの夫とキツネの嫁。異種族同士の夫婦、あるいは敵(かたき)同士の夫婦の意味か。

少し掘り下げてみよう。小田原ちょうちんのミツウロコは北条の家紋。歴史上、北条の滅亡は2回。新田義貞の鎌倉攻めと秀吉の小田原攻め。ならばタヌキとは誰か。タヌキとあだ名された歴史上の人物の代表格は徳川家康徳川家康岡崎城の生まれ。現代の愛知県岡崎市三菱重工企業城下町。作品中の三菱名古屋航空製作所もそこ。とすると、黒川は愛知県岡崎市出身で、夫人は静岡県小田原市出身か。黒川は出身地から離れていないようだから。二人は、駆け落ちではなさそう。しかし、敵同士の夫婦だとするとお見合いという線もないはず。

黒川は、結婚に妙にこだわる。離れに住むのは構わない。しかし、男女が一緒に暮らす以上、婚姻が前提だと。恋は障害があったほうが燃える。とすると、黒川夫人は押しかけ女房か。身一つでやってきた夫人に黒川は、紋きり口調で、二郎たちに言ったのと同じようなセリフを言ったのだろうか。

  「住むのは構わないが、結婚していない男女が一緒に暮らすのは許されない」

二郎と菜緒子に言ったセリフは、かつて黒川が黒川夫人に言った黒川流のプロポーズのセリフだったと考えていいのだろうか。うーん、なんとなく似つかわしくない。それはそれとして、もう一つ疑問なのは、菜緒子という結核患者を自宅に住まわせることについて、黒川夫婦に一切の躊躇がなかったように見えたこと。そこが黒川夫妻のなれそめよりも大きな疑問。

なにか、ヒントがあるだろうか。そういえば“離れ”と言っていた。誰を住まわせるための離れだったのだろう。無理がないところでは肉親の範囲か。たとえば、その肉親が結核患者であったなら、その時点で、黒川夫人はもう黒川に嫁していたのだろうか。結核患者の菜穂子を即座に受け入れたところから類推すると、黒川夫人は、結核患者を世話するにあたって、それなりの経験を持っていると考えてもいいはず。

二郎妹が医師として菜穂子の診察に通っている。であれば、黒川夫人は看護婦などではなさそう。黒川夫人は、職業としてではなく、他人の家で他人の結核患者の世話をした経験がある、と仮定するとどうだろう。離れの結核患者は、黒川夫人にとって家族同然の人物であったはず。ならば、同性の親友か。さらに黒川夫人と同年令と仮定すると、離れの結核患者というのは黒川の“妹”。そう考えると辻褄が合う。

それほど前のことではなさそうだ。黒川妹が結核で床につく。黒川は仕事で多忙。どう考えても世話が行き届きそうもない。小田原からでは遠すぎて通うに通えない。夫人は黒川に住み込みで親友の世話をさせてほしいと懇願する。黒川は言う

 「住むのは構わないが、結婚していない男女が一緒に暮らすのは許されない」

黒川としてはぶっきらぼうに辞退しただけのつもりだったのかもしれない。が、夫人は飛びつく。黒川夫人の実家からはさぞや反対されたことだろう。

いやいや、そういうエピソードかどうかはわからない。だいぶ作ってしまった。勝手な想像だ。それでも、黒川夫婦は、おそらく結核患者との同居を体験済みという設定なのだろう。菜穂子を住まわせることで結核が伝染るかもしれないと考えずに、すでに伝染っているかもしれないと考える。そして、結核患者の世話に関しても身についた知識・経験があるという設定なのだろう。


飛行機と風

飛行機は、翼に大気の揚力を受けて飛行する。だから、必然的に風に立つことになる。本作では、“風”は動乱の“時代”のメタファであることも明白。生きるということは時代の風を受けて生きるということ。ただし、紙飛行機は別の意味。あれは、二郎の菜緒子へのごくごく個人的な想いと躊躇と動揺と濃淡を表している。


蒸気機関車の排煙と喫煙習慣

ちょっと前まで、サスペンスドラマの刑事はタバコを吸うことが当たり前だった。これは、演出によるもの。刑事たちは社会正義の名のもとに捜査を行い犯人を捕縛する。同時に、彼らは、警察内部では上役の勝手な思惑や意向や政治に振り回される。現場の刑事たちは、階級的には例外なく下っ端。警部補、巡査部長、巡査長、巡査。外向きには公権力を我が物のように振るっているが、内向きには警察組織の末端として組織への忠誠と従順を強いられている。彼らは必ずしも社会正義の体現者ではない。ただ単に、組織に命ずるまま行動し逆らうことは許されないだけなのだ。代わりはいくらでもいる。そのような刑事たちが身の内にたまった毒を吐き出す行為が喫煙なのだ。

風立ちぬ」の蒸気機関車の排煙も喫煙習慣も同様のメタファを持つ。排煙の場合は時代の持つおおいなる毒。排煙の色も白から黒へと変化してゆく。時代がより重大な事態に移行していることを暗に指し示している。戦前にかけて直接税や間接税、はては郵便貯金や簡易保険、国民年金制度ももっぱら軍費を捻出するために次々に創設されていった。庶民の重税感たるや想像の埒外、厳しい時代である。貧困、病気、失業、天災、強権、身分。人権などはもとよりありはしない。

明治維新より続く軍事立国と軍国主義。対外的に戦争状態になかった時期はない。国産の技術というものは皆無の時代。アキレスと亀が引用された。有名なパラドックスだが、速度(単位時間当たり移動距離、時間は連続数)の概念を容れるとアキレスは亀に追いつき追い越せる。重要なのは速度なのだ。どの時代かに関わらず、最先端の技術者たちは常に疾駆している。実は、この条件は現代でも同じ。現代の社会が止まっているように見えるは、政治や経営が走っていない状態に慣れてしまっているからだ。技術開発や技術者育成には膨大が資金と時間が必要。バブル崩壊の信用収縮は、官庁や企業を技術開発や育成よりもコスト削減に走らせた。

話を作品に戻そう。堀越二郎たち技術者の思いは、高性能の機体を開発することに注がれる。しかし、その高性能の機体は、爆弾や機関銃を装備するまぎれもない兵器。だからといって、二郎たちが兵器開発に消極的であったかというとそれは違う。高性能の兵器を開発することは二郎達にとっては使命。高性能の兵器を持たなければ、より高性能の兵器を持つ列強に蹂躙される。人殺しや破壊のための道具であることを二郎たちは十分に認識している。兵器を開発している以上、その姿勢は反戦的ではありえない。かといって好戦的なわけでもない。議論して結論がでる問題ではない。身の内には良心との相克がある。そのことを表現しているのが“喫煙”。吐き出すタバコの煙は身の内にたまった相克の毒のメタファを持つ。


菜緒子がここで吸えという意味

タバコの伏流煙は、非喫煙者にとってまぎれもなく毒だ。健康に悪影響しかない。ましてや、菜緒子は肺結核患者。菜緒子が床についている部屋で喫煙するというエピソードは尋常ではない。というより、はっきり異常だ。

ドラマの作劇においては、おかしい普通でないと感じるシーンに重要な意味が隠されていることが往々にしてある。悪癖、悪習と目をそらすよりは、その行為に隠されているかもしれないドラマの意味を探るべきだ。

二郎はタバコを吸う。とうぜん、タバコの煙を吐かねばならない。そして、「風立ちぬ」でのタバコを吸う行為は身の内の相克という毒を吐き出す行為。そうすると、菜緒子の行為は、二郎が吐き出した毒を吸う行為。つまり、菜緒子は、二郎が吐き出した毒を吸い自らの肺で漉しとっていることになる。宮崎監督の劇場用アニメ作品に通底しているのは<浄化>のイメージ。毒を漉しとる行為。ナウシカでいえば腐海のイメージそのものではないか。

余談だが、浄化に失敗したエピソードを持つ作品もある。「カリオストロの城」がそれ。クラリスの存在そのものが浄化のメタファ。もしも、ルパンがラストでクラリスを抱きしめていたら・・・、ルパンは泥棒家業から足を洗って(浄化)いたかもしれない。


スピリチュアル

風立ちぬ」には、スピリチュアルな成分はないように思えるが、ただ、一か所、気になるシーンがある。泉のそばで二郎を待っているシーン。不思議なのは二郎がやってきたことについて菜緒子が泉にお礼をいったこと。二人がホテルに帰ろうとすると突然の豪雨。いきなり晴れて虹が見える。なんと解釈してよいか受け止めてよいか即座にはわからなかった。

またもや、勝手な想像ではあるのだが、イザナギイザナミ神話の黄泉国(よみの国)と黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)のエピソードを思い出した。イザナギイザナミを連れ帰ることに失敗した。二郎はパラソルに同傘していたため、振り返らずにすんだのかもしれない。いや、それ以前に、菜緒子は泉にもう一つ願いごとをしていたかもしれない。

  「かなうなら、時を止めてほしい。病み疲れた姿ではなくて若く美しいままで」

あわただしく帰ってゆく謎のドイツ人カストルプ。ホテルでは四六時中、新聞をよんでいただけのようだったが、二郎と菜緒子が婚約した直後に自ら自動車を運転して帰ってゆく。これが最後のドイツタバコだと二郎に話しかけるシーンも挙動不審だった。あのときカストルプは菜緒子の父を避けていていたようにも見える。二郎と菜緒子で婚約を決めた後は、自然に菜穂子父と同じテーブルについている。最後はドイツ語の歌の合唱だ。

参考:ドイツ文学散歩「ただ一度だけ」(Das gibt's nur einmal ) http://flaneur.web.fc2.com/011.html

パンフレットの野村萬斎のインタビューに、“宮崎監督から「カプローニは二郎にとって“メフィストフェレス”だ」という説明を聞いた”とある。であれば、カストルプも、奈緒子にとってのメフィストだった、ということにならないだろうか。そういえば、ゲーテもドイツ人だった。「時よ止まれ、君は美しい」はゲーテファウスト」のメフィストの有名なセリフ。

さらにいえば、カストルプとカプローニは同一存在。奈緒子の魂が、カストルプではなくカプローニと一緒に二郎を待っていたたのはその証(あかし)だろう。奈緒子と二郎の婚約の前後で奈緒子父への態度が違ったのもそのため。実際には“契約”はもう少し先かもしれない。おそらく、菜穂子が高原病院で二郎からの手紙を受取り名古屋に向かうそのときだったろう。いや、やはり、契約は軽井沢でなされ、契約の履行が名古屋駅で二郎に一緒に住もうと言われた瞬間になされた、と解釈するのが妥当だろう。


美しい飛行機、美しい菜穂子

作品中で“美しい”という形容詞が連呼される。美しいという言葉は、かなり観察者の嗜好・教養による主観的・観念的な部分が大きい。作品を見ている観客のひとりとしては、そうかと受け入れるしかないのだが、メフィストが出てくるとなると話は違う。

ここは、メフィストの有名なセリフ「時よ止まれ、」の発呼が隠されていると解釈するべきではないだろうか。美しいと連呼するたびに、音にはならないが呪文のように「時よとまれ、」が発声されているイメージに気づく。激動の時代。作品中の時代は誰にも止めようもなく動いている。しかし、二郎と菜緒子の時間はどうだろうか。あのとき止まっていたのではないか。菜緒子は美しい。だから時よ止まれと願う。菜緒子が幸福な時間。菜穂子が切望した時間。メフィストは菜穂子との魂の契約を結ぶ。

堀越二郎が主任設計者を務めた九試単は美しいと形容される飛行機。優美な曲線のフルメタルの機体、極限までの追求した軽快さ。世界に並び立てる最高速度。九試単は美しい。ようやく試験飛行に飛び立とうとしている。飛べ、その姿をいつまでも眺めていたい。技術者として幸福な時間。時よ止まれ、と切望する。メフィストは二郎とも魂の契約を結ぶ。

新たな願い。同時刻、もうひとつの止まっていた幸せだった時間が、時を刻みだす。メフィストには同時にふたつの幸せな時間を止めておくことはできないのかもしれない。さらに、時間を止められるのは、一人につき、ただ一度だけ(Das gibt's nur einmal ) 。


堀とはhollyではないか

堀越二郎と堀辰男。共通した“堀”の字が気にかかる。堀辰男の作品には何の興味もないが、堀辰男に「聖家族」という小品があり、その内容・設定において、宮崎作品「風立ぬに」の設定と似通ったところ部分がある。登場人物は、{河野扁理=堀越二郎、細木絹子=菜緒子、細木夫人=菜緒子父、九鬼=メフィスト}といったところ。ストーリーは、扁理と細木夫人の軽井沢でのと出会いと九鬼の告別式で再開。扁理は何度も夢の中で死んだ九鬼と会話をする。扁理は細木家に通うようになり絹子に出会い恋をする、絹子も扁理に恋心をいだく。要するに、若い恋人たちの出会いと恋、軽井沢、夢の中の世界、というキーワード。テーマ的なフレーズは、“死を見つめることによって生がようやくわかる”

と書いても、これ以上、掘り下げようもない。そもそも「聖家族」とう作品自体に何の魅力もない。行き当たりばったりに原稿のマス目を埋めただけの構想倒れの作品に思える。宮崎駿風立ちぬ」は、ここからスタートしたのかとも感じるが、これはさすがに読みすぎかなとも思う。


総評

「生きねば」というメッセージは作品を通じて明瞭かつ明確に伝わった。しかし、隠しメッセージとして「時よ止まれ」があることに気づく。美しい時間、幸福な時間。いったい誰の時間のことを言っているのだろう。終末までの残された時間を感じるとき、幸福な時間であったと感じるとき、その時間が再び時を刻みはじめたと感じるとき、20歳代であろうが70歳代であろうが“余命”を感じてしまうのではないだろうか。

十一作目の劇場用アニメ作品「風立ちぬ」は期待にそぐわぬ素晴らしい作品だった。だから、余計な詮索でしかないのは解っているが、それだけに宮崎監督の余命はあとどれほど残っているのだろうかと考えてしまう。

  「生きねば。(時間は、また時を刻みはじめた)」

 

 

三と十の暗合 目次

 

crayon-shinji.hateblo.jp

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とめはね!、西行、二枚貝説

とめはね!

週刊スピリッツ隔週連載の河合克敏とめはねっ! 鈴里高校書道部」、高校書道部の話です。ウンチク物のマンガはだいたい面白いのですが、この作品は書道がモチーフになっていますので想定読者層の広さから、ちょっと毛色が違った作品になっています。「帯をギュッとね!」の登場人物もそっと出てきたり、ヒロインがいまや柔道のオリンピック強化選手に選ばれるかどうかというレベルで体育会系の味も持ち、書道のライバルとの競争の方にも身が入りつつあるという文化会系勝負物、というほどでもなく、恋愛物としてはヒロインもお相手もいまだ微妙で・・・とストーリーが進んでいく中、読者もだんだんと書道の深さと周辺知識に引きずり込まれてくる。そういう作品です。

その中の、「とめはねっ!」第9巻に、作品中の書の作品の題材として出てきた西行の和歌に、わたしの琴線が反応しました。

おもかげに君の姿を見つるよりにはかに月のくもりぬるかな

「とめはね!」の読み下しによると「月の中に君の姿が浮かんだら、たちまち涙で月がくもってってしまった」の意味とのこと。涙で月ならぬ星が曇るモチーフなら「銀河鉄道の夜」でも出てきます。

    “琴の星は茸(きのこ)のように足を延ばしました”

ひょっとすると、「琴の星・・・」は「おもかげに・・・」の本歌取りなのではないか、という着想が浮かんできました。これまで、宮沢賢治の和歌を含む作品について、西行の影響を受けたという指摘は読んだことがありません。「宮沢賢治歌集」を読み返してみても西行の影響を受けていそうな歌は見受けられません。もっとも、「宮沢賢治歌集」は大正九年までの和歌を集めた歌集ゆえに、「銀河鉄道の夜」「二十六夜」「やまなし」三部作成立時期である大正十一年八月以降とは若干の時間のずれがあり、そのころ賢治はすでに童話と詩作のみで和歌の作成は中止していたようです。

しかし、「琴の星・・・」と「おもかげに・・・」だけでは、いくらなんでも弱過ぎます。こじつけだとか気のせいだと冷たく言われても言い返す言葉がありません。他にはないのだろうかと、西行の資料をあたることにしました。


山家集をあたる

しかし、一般書店には西行関連の資料がほとんど、というよりまったく皆無です。ありません。山家集ですらどこにも売っていません。岩波文庫版はすでに絶版になっています。西行は、もはや現代人には人気が無いようです。おそらく、古文のリテラシーがないと作品を読み下せないからだと思います。

「とめはね!」には西行の歌に続けて俵万智の和歌を題材とした作品も出てきます。俵万智の作品は漢字かな交じり文の読みやすさの例として出てくるのですが、同時に俵万智の和歌が現代文・現代語であることが相乗効果となって、さらに読みやすくなっているのだと思います。ちなみに、俵万智氏は神奈川県立橋本高校の教師だったころ書道同好会の顧問をされていたそうです。町田市文学館で俵万智展を見に行ったったときに知りました。

山家集は図書館に置いてありましたが、わたしにしても古文のリテラシーをさほど持ち合わせているわけではないというか、実際にはほとんど持ちあわせていないので、山家集をそのまま読み下すのはかなりの苦労です。そこで、西行を題材とした作家論から攻めることにしました。2冊目に読んだ「西行白洲正子 新潮文庫 p.243に次の歌を見つけました。

    下り立ちて浦田に拾ふ海人の子はつみよりつみを習ふなりけり

西行が四国に渡るために岡山県のとある海岸に差し掛かったところ、子供たちが”つみ”という貝を採っていたのを見て、”つみ”という貝の名前から”罪”を連想し、それとは意識せず子どもたちが殺生の罪を犯している姿に深い感懐を覚えた、というところでしょうか。

この歌の、貝殺し、殺生罪、子供、というキーワードは、「二十六夜」の梟のお経の中に出てくるフクロウが殺生の罪を犯すエピソードの直接的なモチーフになっています。

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なんぢら審(つまびら)かに諸(もろもろ)の悪業(あくごふ)を作る。或(あるい)は夜陰を以て、小禽(せうきん)の家に至る。時に小禽、既(すで)に終日日光に浴し、歌唄(かばい)跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍して之を握(つか)む。利爪(りさう)深くその身に入り、諸(もろもろ)の小禽(せうきん)、痛苦又声を発するなし。則ち之を裂きて擅(ほしいまま)に食(たんじき)す。或は沼田(せうでん)に至り、螺蛤(らかふ)を啄(ついば)む。螺蛤軟泥中にあり、心柔(にうなん)にして、唯温水を憶(おも)ふ。時に俄にはかに身、空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱(もんらん)声を絶す。汝等之を食(たんじき)するに、又懺悔(ざんげ)の念あることなし。
 斯(か)くの如(ごと)きの諸(もろもろ)の悪業(あくごふ)、挙げて数ふるなし。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂(つひ)に竟(をは)ることなし。昼は則ち日光を懼(おそ)れ又人及(および)諸(もろもろ)の強鳥を恐る。心暫(しばら)くも安らかなるなし、一度(ひとたび)梟身(けうしん)を尽して、又新あらたに梟身を得(う)、審(つまびらか)に諸(もろもろ)の苦患(くげん)を被(かうむ)りて、又尽(つく)ることなし。(「二十六夜ちくま文庫
注: 螺(ら):巻貝、蛤(こう):二枚貝


訳:

お前たちフクロウは様々な(前世からの)悪業を重ねている。あるときは、夜陰に乗じて小鳥の巣に行く。小鳥は日がな一日、陽の光を浴び、さえずり、飛び跳ね、疲れきってただただ甘い睡りの中にいる。お前たちフクロウは小鳥に飛びかかり掴まえる。お前たちの鋭い爪が小鳥の身に深々と食い込む。ほとんどの小鳥は苦痛のあまり声をだすこともできない。(お前たちフクロウは)捕まえた小鳥たちをやすやすと引き裂いて食べてしまう。また、沼地や田に行き、巻貝や二枚貝をついばむ。巻貝や二枚貝は柔かな泥の中で水の温かみのみを感じている。突然、巻貝や二枚貝は空中へと放り出され即座に身を食い破られる。苦しみのあまり声を上げることもできない。(お前たちフクロウは)巻貝や二枚貝を喰らっても罪悪感を感じることもない。
このような様々な悪業は他にも数えきれない。悪業を重ねることで、さらなる悪業を積み重ねることになる。悪業の積み重ねは延々と続き終わるということがない。(お前たちフクロウは)昼は日光を避け、人や強い鳥を恐れる。すこしも心が安らぐときがない。一度、フクロウという身を終えても、また新たにフクロウに生まれ変わる。様々な苦しみや患いが後から後から押し寄せ途切れるということがない。
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貝殺しは「やまなし」の子ガニ達のクラムボン殺の話に重なるモチーフであり、「銀河鉄道の夜」では鳥とラッコの暗示的な殺生罪のモチーフになっています。したがって、西行「下り立ちて・・・」に続く数首は、賢治「琴の星・・・」が西行「おもかげに・・・」の本歌取りではないかという着想の裏付けになりえるはずです。さらに、山家集を読み進んでゆくと、つみ(巻貝)やハマグリ(二枚貝)だけでなくサザエやアワビも出てきます。大漁です。賢治作品でサザエやアワビを捕食する動物は、「銀河鉄道の夜」に出てくるラッコだけです。以下、関連すると思われる部分を岩波文庫版「山家集」p.114~116より引用します。

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本文

備前国に小島と申す島に渡りたりけるに、あみと申すものをとるところは、おのおのわれわれしめて、ながきをに袋をつけてたてわたすなり。そのさをのたてはじめをば、一のさをとぞ名付けたる。なかに年高きあま人のたて初むるなり。たつるとて申すなる詞きき侍りしこそ、涙こぼれて、申すばかりなく覚えてよみける

たて初むるあみとる浦の初さをはつみの中にもすぐれたるかな

解釈

岡山県の小島という島に渡ったところ、あみという海産物をとっていた、海女たちがそれぞれに長い緒に袋をつけて立て渡す。その立て始めの竿を一の竿といい最年長の海女から立て始めるのであるが“たつる”という掛け声に、(本来なら神仏に請願を”立てる”という用法の言葉なのに、殺生を犯す掛け声にとして発声していたため)おもわず涙こぼれて言葉もないほど驚いて詠んだ。

(本来は神仏への願を立てるという使い方であるのに)、海のあみを採る竿の立て始めに“たつる”という言葉を使っている。これではあみを採ることで犯すことになる殺生罪をよりいっそう重くしてしまうことになるのではないか。

本文

ひゝしぶかわと申す方へまかりて、四国の方へ渡らんとしけるに、風あしくて程へけり。しぶかわのうらたきと申す処に、幼きものどもの、あまた物を拾いけるを問ひければ、つみと申すもの拾ふなりと申しけるを聞きて

おりたちてうらたに拾ふ海人の子はつみよりつみを習ふなりけり

解釈

比日渋川という所に着いて、四国に渡ろうとしたが、風の具合が悪いため滞在していた。渋川の浦田というところで、幼児たちがさかんに何かを拾っていたので何かと問うたところ、つみ(貝)というものを拾っていると言うのを聞いて

(海女の子として降り立つ=転生した)浦田にいた幼児たちは、つみ(巻貝の類)を拾うことで、(再度、)生業としてつみ(殺生罪)を犯す所業を習っている。

本文

まなべと申す島に、京よりあき人どものくだりて、ようようのつみのものどもあきなひて、又しはくの島に渡りてあきなはんずるよりもうしけるを聞きて

まなべよりよりしはくへ通ふあき人はつみをかひにて渡るなりけり

解釈

眞鍋という島には、京から商人たちがやってきてさまざまな積荷を商っており、また、塩飽の島に渡って商いをすると言っていたのを聞いて

(習うを受けて)眞鍋(学べ)から塩飽(四悪)へ通う商人(悪き人)は積み(罪)荷を櫂(甲斐、生業)として渡ることになるのだ。(論語でいう四悪に通ずる殺生を学んだ悪人は、殺生罪という重荷を積み重ねながら生きていくのだ)


本文

串にさしたる物をあきないひけるを、何ぞと問ひければ、はまぐりを干してはべるなりと申しけるを聞きて

同じくはかきをぞさして干しもすべきはまぐりよりは名もたよりあり


解釈

串に刺した物が売っていたので何かと尋ねたところ、ハマグリを干したものでございます、と答えたので

どうせなら牡蠣(柿)を刺し干して売ればいいものを、蛤(栗)よりは聞こえがいいではないか。(ハマグリと言われてしまえば即座に貝とわかってしまっておぞましい。カキと言われれば柿に聞こえるからまだましである)


本文

うしまどの迫門に、海士の出で入りて、さだえと申すものをとりて、船に入れ入れしけるを見て

さだえすむ迫門の岩つぼもとめて出いそぎし海人の気色なるかな

解釈

岡山県牛窓町の瀬戸で、海女が海に出たり入ったりしてはサザエを採って船にいれていたのを見て

瀬戸の岩のくぼんだ所に棲むサザエを求めて海女が忙しそうに出たり入ったりしている。瀬戸=瀬戸際、生死の分かれ目なのかもしれないが、この歌の裏の意味は不明


本文

沖なる岩につきて、海士どもの鮑とりける所にて

岩のねにかたおもむきに波うきてあはびをかづく海人のむらぎみ

解釈

沖の岩の所で、海女の長(村君)が潜ってアワビを採っているところに居合わせて

岩の根に海女の長(村君)が潜ってアワビを採っている。”かたおもむき”は漁法か。同時に、万葉集由来の磯の鮑の片思いに掛けている。この歌の裏の意味も不明。
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いう語に代表されるように西行はもっぱら山に棲み山を歌う山の人であったということでもあるのだろう。ことさらに海の人が生業として貝を採る行為に殺生の罪を見いだしてしまうが面白い。これ以外に崇徳上皇の逝去の二年後、上皇の流刑跡に向かう往路で詠んだ歌六首。上皇が生きている内に訪うことができなかったという罪の意識が西行の心を覆っているのかもしれないが、「山家集」の山家と西行が”つみ”を歌いこんだ歌は、”地獄繪を見て”の一連の歌に出現するのみで、あとは宗教的な観念性の強い形式的な印象の歌三首に現れる。もっとも、地獄絵の歌は歌というよりも写実・叙述に近いように感じる。


  地獄繪をみて

  いろくづも網のひとめにかかりてぞ罪もなぎさへみちびかるべき(聞書集)
  重き罪にふかき底にぞしづまましわたす筏ののりなかりせば(聞書集)
  知られけり罪を心のつくるにて思ひかへさばさとるべしとは(聞書集)
  見るも憂しいかにかすべき我がこころかかる報いの罪やありける(聞書集)
  つみ人はしでの山辺のそまぎかなおののつるぎにみをわられつつ(聞書集)
  問ふとかや何ゆゑもゆるほむらぞと君をたき木のつみの火ぞかし(聞書集)

  他

  身につもることばの罪もあらはれて心すみぬるみかさねの瀧
  (”みかさね”とは身業、口業、意業の三業の罪。殺生の罪は身業に含まれる)
  何ごとも空しき法の心にて罪ある身とはつゆも思はず
  罪人のしぬる世もなく燃ゆる火のたきぎとならむことぞかなしき

このほか地獄絵の一連の歌の中に”みつなき人”という表現が出現する。後世の写し間違いという指摘もあるが、”みつ”→”つみの真逆”→”罪なし”と解釈すると”<つみなき>なき人”と二重否定の形式となり、その意味として”つみ人”となる。ただし、罪を犯していないことと罪を犯したことが可逆とは限らない。というよりも、いったん犯してしまった罪をそそぎきることなどできはしない。だから業なのである。人は罪を犯すことを避けて生きられない。”みつなき人”にそういう意味を見出してしまうのは、つい深読みしすぎてしまうわたしの悪いくせか。なお、みつせ川は三途の川のことである。”またわたりかかれる”の”また”というのは、何度も三途の川を渡っている事、つまり転生を繰り返している事を示している。

  みつせ川みつなき人はこころかな沈む瀬にまたわたりかかれる(聞書集)

 

消されたつながり

賢治は生前、「愛国婦人」大正十年九月号に「あまの川」という童謡を発表している。賢治の出郷は、大正十年一月二十三日~八月中旬であるから、おそらく、在京中に応募してしていたものと思われる。この「あまの川」という童謡が「銀河鉄道の夜」初期型二(2次稿)と「二十六夜」清書稿に現れるがいずれも、削除の印が付けられている。「愛国婦人」発表型では句読点やルビが追加されているが、これは賢治の手によるものではなかろうというのが新校本編者の指摘である。

   峩箍賄監擦量 初期型二」削除
  あまの川
  底のすなごも見ぃへるぞ
  かはらの石も見ぃへるぞ
  いつまでみても
  見えないものは水ばかり
  (新校本 第十巻 校異編 p.63)

  ◆崙鷭熟嗣襦彑興餽 削除
  あまの川
  岸のすなごも見ぃえるぞ
  底の小砂利も見ぃえるぞ
  いつまで見ても見えないものは水ばかり
  (新校本 第九巻 校異編 p.77)

  「愛国婦人」草稿
  あまの川
  底のすなごも見ぃへるぞ
  かはらの石も見ぃへるぞ
  いつまで見ても
  見えないものは水ばかり

  ぁ岼国婦人」発表型
  あまのがは
  岸の小砂利も見ぃへるぞ。
  底のすなごも見ぃへるぞ。
  いつまで見ても、
  見えないものは、水ばかり。

「あまの川」が記載されている部分は、資料『宮沢賢治銀河鉄道の夜」の現行のすべて』宮沢賢治記念館の原稿用紙の写真によると、現存紙葉番号58に相当する。1次稿は紙葉番号60から始まっているため、「あまの川」は、ちょうど、0次稿に相当する部分に記載されていることになる。2次稿は原稿用紙のマス目の中に筆記されており訂正箇所も少なく清書稿の体裁をなし、1次稿(未清書稿)では存在していない部分、つまり、0次稿に相当する部分に「あまの川」が存在していたと考えられる。


現存紙葉番号
01
・ 


11 2次稿 2次稿A 始




48     2次稿A 終
49     2次稿B 始




59 2次稿 2次稿B 終
60 1次稿 始め


現存紙葉番号14を除く、紙葉番号11~59が2次稿と言われており、2次稿の特徴をなしているのが「丸善特製 二」という原稿用紙が使われていることと、清書稿の体裁であるという二点である。また、原稿用紙そのものから成立は大正十二年秋以降とされている。さらに、使用インクに着目すると、2次稿は紙葉番号11~48のとじ穴なしブルーブラック・インク部分と、紙葉番号49~59のとじ穴あり青インク部分に分けられる。便宜上、紙葉番号11~48を2次稿A、紙葉番号49~59を2次稿Bとすると、「あまの川」が記載されている部分は2次稿Bになる。ちなみに1次稿も「丸善特製 二」を使っているが下書きの体裁になっているのが特徴である。

そして、「あまの川」の内容でいえば、 峩箍賄監擦量 初期型二」は「愛国婦人」草稿と同一。◆崙鷭熟嗣襦彑興餽討廊ぁ岼国婦人」発表型に類似している。これらのことから推敲過程を推測すると次のようになる。

  a. 「あまの川」 発表型                大正十年八月ごろ
  b. 「銀河鉄道の夜」 0次稿、 「あまの川」草稿ベース  大正十一年八月五日
  c. 照井謹二郎氏の獅子鼻のフクロウのエピソード    大正十一年八月十八日
  d. 「二十六夜」 初稿 、「あまの川」発表ベース
  e. 「やまなし」 初稿、和半紙
  f. 「やまなし」 発表                 大正十二年四月八日
  g. 「銀河鉄道の夜」0次稿清書=2次稿B        大正十二年秋以降
  h. 「二十六夜」清書、表紙つき「1020」原稿用紙(これは初稿であってもよい)
  i. 「銀河鉄道の夜」2次稿Bと「二十六夜」清書稿の「あまの川 」に削除印
  j. 「銀河鉄道の夜」1次稿未清書    (関東大震災)大正十二年九月一日以降

1次稿を書いてから2次稿Bを清書したならば、1次稿部分も清書されていてしかるべきである。しかし残されている1次稿は2次稿と同じ原稿用紙を使って下書きのみである。したがって、1次稿と2次稿Bの成立時期は逆転すると考えるのが妥当である。

なぜ、賢治は「あまの川」を削除したのだろうか。想像するしかないが、別々の作品に同じ童謡を入れ込むことがあからさますぎるように思えたのだろうか。結果、「銀河鉄道の夜」と「二十六夜」のつながりは、「二十六夜」の最後の一文にのみ残されることになる。

  “そして汽車の音がまた聞こえて来ました。“(「二十六夜」)

 

消された手がかり

江戸時代、松尾芭蕉西行に私淑していたことは有名であるし、明治末期から大正初期にかけての歌人たち、具体的には、若山牧水斎藤茂吉、他の方々の作品などに影響が見え隠れするという。

では、賢治は西行を読んでいたのだろうか。賢治の蔵書に「山家集」はあったのだろうか。賢治の没後、宮沢清六氏が残された蔵書のリストを作成していたが戦火で失われた。オリジナルは失われたが小倉豊文氏が書写したリストが残っている(※奥田博「宮沢賢治の読んだ本」)。そのリスト中にはことさら「山家集」の名は見受けられない。だだし、次の小倉豊文氏の指摘に救いがあるように思える。

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”伝聞によれば、生前の賢治は実によく本を買い且つ読んでいた。そして、読書の速力は執筆のそれと同様に異常にはやかった。それだけに読んだ本の量も多かったはずである。だが、彼は本がたまるとまとめて古本屋に売ってしまった。また教え子や知人に次々に呉れてしまっている。だから、死後に残ったものはあまり多くなかった。又、彼の読書は所蔵本ばかりでなく、各地の図書館の蔵書に及んでいる。”(※小倉豊文「賢治の読んだ本」)
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※ いずれも、所収 「宮沢賢治・童話の宇宙」 栗原敦編 有精堂出版 90.12

蔵書という側面から西行の影響を探るという実証的なアプローチは既に無理なようだ。では、実証的でなくとも、賢治が西行の影響を受けていたと感じられる作品はあるのだろうか。いや、貝殺しというモチーフ以外、特段、影響をうけていたようには感じられない。それなのに、なぜ、西行の作品の貝殺しと殺生罪のモチーフが「銀河鉄道の夜」三連作だけに現れるのだろう。このことをどうとらえたらいいのだろうか。

この謎解きの感覚は”イサド”の謎を探っていた時の感覚に似ている。伊藤光弥氏は「森からの手紙」で古地図上でイサドという地名を徹底的に探した。けれども見つからなかった。これは、イサドがサイド(西土=西方浄土)のアナグラムであって、実在の地名ではなかったからである。観点を変えなければいけない。ここは変えるべきである。

もし、西行から影響を受けたという命題がそもそも事実ではないとしたらどうなるか。小倉氏の言われるとおり、賢治は膨大な本を読んでいた。その中に山家集があったとしてもおかしくはない。山家集は明治末期から大正初期の歌人に影響を与えるほど知られていたはず。賢治は「山家集」を読んでいた。つまり、山家集西行作品についての知識は持ち合わせていたとするのが、持ち合わせていなかったとするよりも、妥当であろう。

賢治作品は、西行の影響は受けてはいない。しかし、影響をうけていないはずの西行の作品のモチーフ、つまり知識が三連作に持ち込まれている。なぜ・・・。ここは、賢治がわざと持ち込んだと考えるべきではないのか。銀河鉄道の夜と二十六夜の作品中に、いったんは同じ童謡を埋め込み、後に削除している。両作品を繋げるものは二十六夜の最後の列車の汽笛のみになった。

二枚貝説は、クラムボンとはクラム(Clam)ボン(坊や)で二枚貝の子供のことである、という命題からはじまった。二十六夜とやまなしを繋げたものはクラムボン殺しの犯人と動機であった。それは、二十六夜のフクロウのお経の中に書いてあった。最後の列車の汽笛が二十六夜銀河鉄道の夜を繋げた。三作を三連作とすることで、鳥が貝殺しという殺生罪に染まっているというモチーフが浮がび上がってきた。対照的に苹果は罪に染まっていない。苹果は浄土に生まれ変わるために清浄な命、鳥は再度地上に転生するための罪に汚れた命。来迎、輪廻転生、ベジタリアン、十字架、後は芋づる式のように様々なメタファー続々と見つかった。

十六夜のフクロウのお経は賢治の創作である(「宮沢賢治必携」學燈社 86)。フクロウは照井謹次郎氏のエピソードから見いだすことができる。が、貝殺しはどうであろうか、やはり西行なのである。フクロウは他の鳥でもよかったのかもしれない。賢治が照井氏からを教えられた獅子鼻で夜明かししたエピソードの大正十一年八月十八日には、「銀河鉄道の夜」第0次稿は脱稿していた。ということは、貝殺しの方が基本モチーフ、つまり、西行の作品から発想したモチーフが三連作のメインなのである。そう、影響ではなく発想なのである。

なぜ、西行か。なぜ、琴の星は茸(きのこ)のように足を延ばすのか。堂々巡りである。しかし、「なぜ、西行が見つかるのか」というように問い掛けを言い換えたとき、答えが見つかったような気がした。電車だろうがネコバスだろうが、乗合の交通機関には行先表示がある。鉄道用語では行先板(サボ)というそうだ。つまり、わたしが見つけたのは銀河鉄道の列車の行先板だったのかもしれない。

じっと目を凝らすと、そこには「西行(にしゆき)」と書いてあった。

 

掘り出し物

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本日、BOOKOFFで久々の掘り出し物でした。生え抜きの女性社長が更迭されてからというもの、つまらないBOOKOFFになってしまったなぁと思い、このところ、数ヶ月に一度くらいしか足を向けなくなっていました。で、見つけたのが

岩波文庫山家集」と大佛次郎 ノンフィクション文庫「パリ燃ゆ朝日新聞社(1)~(6)
大佛次郎はたいへんな猫好きだったと知ったことから興味を持ちエッセイ集「猫のいる日々」を読んだのがきっかけです。その後、「赤穂浪士」など時代劇モノを幾冊か読みました。

パリ燃ゆ」という作品の存在は、横浜、海の見える丘公園にある大佛次郎記念館で知り、図書館で「新装版 パリ燃ゆ」を借りて読みました。パリ・コンミューンの市民の戦いと、その厳しい結末に愕然としました。この作品は、ぜひ手元に確保しておきたいと思いながら、新装版は高価なため、購入を見送っていました。

岩波文庫山家集」は、初版が昭和3年の文庫です。入手できたのは昭和58年39版です。巻頭の佐佐木信綱氏の緒言になかなかに興味深いものがあります。西行関連書籍はここ一年、機会あるたびにぽつぽつと購入して読んできました。購入したのは、これで都合五冊です。

 辻邦生西行花伝」
 白洲正子西行
 高橋英夫西行
 井上靖西行山家集
 岩波文庫山家集

いやはや、巷に西行関連書籍の少ないこと少ないこと。もう人気はまったく無いようですね。

でもなぜ西行なのだと思いますか?NHK平清盛」なんか関係ないですよ。

実をいうと、“西行”は最後の最後にとっておいた本当に最後の二枚貝説ネタなのです。宮沢賢治西行の接点とは?あるのかそんなもの。近いうちにUPしますです。乞うご期待、です。

中二病でも恋がしたい Episode VII「追憶の・・・ 楽園喪失」

けいおん!」のような京アニ得意のライト・コメディと思って暇つぶし程度に見ていたのですが、思わぬ深いイメージに引きこまれました。

六花の中二病の始まり。父の死を知らされた日。夜の海の向こう、暗い海と夜空の境界に見た光の連なり。六花は、父と自分を隔てる“不可視境界線”の存在を確信する。

死と生を分ける境界線。目には見えるはずもない観念上の境界線。六花は、不可視境界線の存在を信ずることで、死んだ父を境界線の向こう側に実在する存在と信じた。父は死んではいるが存在しているはず。死んではいるが父はどこにも存在しなくなったわけではない。父は不可視境界線の向こう側に存在している。したがって、墓に入っているのは偽物。ニセパパ。というわけでニセサマーは伏線臭い。

勇太を連れて行ったのは、二年前まで六花が父母と住んでいた実家。すでに家屋は取り壊され、整地された空き地に売り地の看板が立っていた。そして、一面のマツヨイグサの群生。

瞬間、ふと思い出したのが「春と修羅」のとしのつぶやき。「黄色な花こ…」。落ち着いて考えてみると、マツヨイグサ以外の賢治キーワードは見つからないので、「中二病…」という作品には賢治ワールドのイメージはないのだろうと思います。

宵に開き朝にしぼむといわれるマツヨイグサの花。マツヨイグサの群生は連なる光のメタファ。暗い海と夜空の境界にあった光の連なりと同じイメージ。今宵、六花は、あの夜たどり着きようもなかった連なる光の境界線の上に立っていることになる。

眼帯の間から一筋の涙が流れる。何かが解けたのだろうか、六花の中に何が凍っていたのだろうか。


  「オホーツク挽歌」

  ほんたうにその夢の中のひとくさりは
   かん護とかなしみとにつかれて睡ってゐた
  おしげ子たちのあけがたのなかに
  ぼんやりとしてはいってきた
  《黄いろな花こ おらもとるべがな》


  [北上川は螢気をながしィ]

  (まあ大きなバッタカップ!)
  (ねえあれつきみさうだねえ)
  (はははは)
  (学名は何ていふのよ)
  (学名なんかうるさいだらう)
  (だって普通のことばでは
   属やなにかも知れないわ)
  (アノテララマーキアナ何とかっていふんだ)

      中略

  (まああたし
   ラマーキアナの花粉でいっぱいだわ)


生と死の境界線というキーワードでもう一つ思い出したのが、深田恭子出世作、15年前のフジテレビのドラマ「神様、もう少しだけ」の冒頭の独白。

  人は皆、生まれた時から死にかかっているんだ。
  星の降る夜、いつか、遠い来世で俺を待っている恋人に聞いてみたい。
  お前は今、幸せか。
  生きたがっているのか、死にたがっているのか。
  生と死の淵はたった五十センチのフェンスの幅よりももっと狭くて、
  それを飛び越す一瞬はビルの隙間に落ちる流れ星のひとまたぎだ。
  (「神様、もうすこしだけ」浅野妙子 角川書店 1998)

そういえば、あのドラマは、前半、Niftyのドラマ板で轟々たる批難の中にあった。あれに較べると今の嫌韓ブームなどおとなしいくらいに感じてしまう。当時の全国紙の投書欄もストーリーについて過激に批判する投書ばかりだった。新聞に掲載される投書の内容はそのまま新聞社の意向を示している。つまり、あのドラマは、日本を代表するジャーナリズムからの激烈な批判を受けていたことになる。

燃え続けるにもエネルギーがいる。劫火のような批判の渦が沈静化した直後、なんと、脚本はHIVに感染したヒロインを妊娠させる。わたし自身、あの回を受け止めるのに一週間近くかかった。同時に、脚本家浅野妙子の全力を感じた。あのドラマは、結局、“ヒロインが一番の幸せを探し見つける”という物語だったが、あのドラマも賢治ワールドには関係なかったと思います。

関係ない話ばかりですいません。